巴の家紋について
巴紋(ともえ)とは、勾玉やオタマジャクシに似た独特の形状の図形をさまざまに配した家紋(紋章)の総称を言います。
雷光や渦巻きに見立てられる他、武神・八幡神のシンボルでもあることから、長尾景虎や小早川隆景など、多くの有力武将に用いられた家紋という側面もあって、今日でも非常に高い知名度を誇りますが、その反面、成立の経緯や由来については謎が多く、定説ははっきりしていません。
今日、広く「巴」と呼ばれる図形は、古代ケルトの『トリスケル』や、古代中国の『冏文=けいもん』など、有史以前から世界各地で多発的に発生した(日本でも縄文時代の土器や土偶に見られる)ものを含む場合があります。
しかし、それらの多くは単なる「うずまき」形状であり、私たちのよく知る勾玉状の「巴」との起源関係や連続性も不明であることから、ここで取り上げる巴文様・紋章は勾玉状の図形(もしくはそこからの変形)で構成されたものに限らせていただきます。※巴紋の種類一覧は、詳細解説の次にあります。下のページ内リンクで解説を飛ばすこともできます。
巴紋の由来として唱えられるさまざまな説
先述の通り、今日の私たちのよく知る「現代の巴」紋の成立の経緯や由来には謎が多いため、これといった定説は存在せず、諸説が入り乱れているのが現状ではありますが、それでもその中から有力視されているものを順に、いくつかご紹介いたします。
巴紋と雷と太鼓の関係
まず最初に挙げられるのは「巴は雷の稲光を表している」であり、この説によるとそもそも巴は、古代中国において稲光を表した「雷文」という渦巻き状の文様から徐々に変化したものとされます。
中国では、その周囲に多数の連太鼓を備え、これを打つための槌や楔を手に携えた「雷神(中国では雷公)」の図像が、漢代ごろより見られますが、これは「雷は雷公が太鼓を打って発生させるもの」とする考えが古来より存在したことによります。
「雷鼓」という言葉が、「雷神の持つ太鼓」と言うだけでなく、「雷鳴」そのものを意味することからも分かるように、かつて雷と太鼓には密接な関連があったことが分かります。
こうした「太鼓の音色を雷鳴とする」考えは、(音と対になる光の表現として)太鼓の鼓面に巴紋を描いてこれを『雷光(稲光)』とする考えにつながっていったといいます。
雅楽の大太鼓は今日における巴紋の広がりに貢献した?
今日にも続く、「太鼓の鼓面に巴紋を描く」慣習の最も著名な代表例と言えるのは、『雅楽=ががく』に用いられる『大太鼓=だだいこ』ではないでしょうか。
「雅楽」は、1200年を超える歴史を有する日本の古典音楽で、古代中国(とその周辺諸国)の宮廷儀式や(儒教の)祭祀などで催された優雅で洗練された楽舞(音楽と舞)の一群にその端を発します。
5世紀頃より断続的に渡来しては、日本在来の楽舞とも一部で融合しながら発展、やがて朝廷に専門機関が設置されるほどの手厚い保護がなされ、宮中ならびに四天王寺・東大寺・興福寺といった巨大寺院において盛んに催されたことから、当時は非常に大きな社会的影響力を持った芸能・芸術だったと言えます。
こうした経緯から大陸の雰囲気を色濃く残す独特の外観を持った膜鳴楽器(太鼓)である『大太鼓』は、「火焔宝珠」を象った吊り枠台を含めれば、その全長は約7mにも及ぶ巨大さが特に印象的であり、通常、左右一対で設置されるものです。
この左右の大太鼓のうち、向かって【左】方の鼓面には【三つ巴】が、【右】方の鼓面には【二つ巴】が描かれるのが古来よりの決まりごとのようですが、これは雅楽が古代の大陸から我が国に伝来した当時の姿をそのまま伝えているとも言われます。
巴紋のデザインが、日本で生まれたものか大陸から持ち込まれたものかは判然としませんが、古代中国(秦代)の「陶胎漆鼎=とうたいしってい」なる漆陶器の蓋に大きく三つ巴紋に酷似した模様が描かれていることから、少なくともこの頃(紀元前)の中国には、すでに三つ巴紋のような図案が存在していたことは確かだといえます。
弓道のいにしえの装身具である『鞆』を象ったという説
かつて弓を射るときに用いられていた装身具である「『鞆=とも』を象ったもの」とする説も有力です。「鞆」とは、矢を射た反動で弦が弓の持ち手に当たることを防止するために手首に巻き付けるもので、革製の丸く膨らんだ部分を内側にして革紐で結びつけて装着します。
巴の勾玉のような形状は、この装身具を象った図案(絵)である(または、巴の形状が鞆の絵のようだ)として『鞆絵=ともえ』の呼び名となり、のちに「うずまき」の意味を包有する「巴」の字が当てられたとしているようです。
瓦の巴紋は、火除けのゲン担ぎ?
「ヘビがとぐろを巻く姿を表した」とする説は、漢字の『巴』が「ヘビが地面を這う」様子を象形したことに関連するようで、また「水の渦巻きを表した」とする説も、巴の字に「うずまき」の意味が含まれることから来ているのかもしれません。
ちなみに瓦の装飾に見られる巴は、(巴には水の渦巻きの意も含まれることから)「火除けのゲン担ぎ」の意味を持つといい、平安時代末期ごろの流行に端を発した習わしと伝わります。
先史・古代の装身具である「勾玉を象った」とする説については、巴の形状の類似に由来するものと考えられます。また「胎児を表した」とする説もこれと同様に形状に由来するものではないでしょうか。
以上、巴紋の由来として語られる主立った説を列挙してみましたが、残念ながら、現状はこのいずれの説も決定的なものとはいえないようです。
社会に広がる巴文様と、巴の家紋への派生について
成立の経緯や由来については謎の多い巴ですが、文様・紋章としての使用はかなり早い段階から始まっていたようで、すでに奈良時代には、吉祥文様や有職文様のような伝統文様群の一つとして重きをなしたようで、服飾・調度・美術工芸品などの図柄に広く用いられたといいます。
特に先述の「雅楽」の「大太鼓」の鼓面に描かれていた巨大な巴紋は、その象徴的な使用例と言え、その「雅楽」の定期的な上演が、宮中や有力寺社において数世紀もの長くに及んだという事実が、さらに巴の認知向上や普及を促進させたであろうことは想像に難くありません。
奈良・平安時代当時の出来事や日常を絵と詞(ことば)で表現した「絵巻」作品のうち、『春日権現験記絵』『前九年合戦絵巻』『年中行事絵巻』などを始めとして、実に多くの作品に巴文様が登場しているという事実が、当時、いかに巴が文様として重用され、身近にあふれていたかを如実に表していると言えそうです。
10〜11世紀ごろの作成と見られる「高野山阿弥陀聖衆来迎図(国宝)」に描かれる大太鼓に巴紋が装飾されていますが、これが現存する最古の巴紋と見られているようです。
巴の家紋の誕生
中級以上の平安貴族が日常的に移動手段として用いた『牛車=ぎっしゃ』は、どれが誰の車であるかを自他がひと目で判断できるよう、自家や個人にちなんだ文様を目立つように印して「識別子」とするのが慣習となっていました。
中央貴族でも屈指の名門である『西園寺家』がその牛車に「三つ巴」の文様を用いていましたが、家紋文化の成立以降、西園寺家の家紋が三つ巴紋であるのは、この牛車の文様に由来するようです。
牛車の文様が家紋へと派生した例は、他に近衛家の「牡丹」紋、徳大寺家の「木瓜」紋、花山院家の「杜若」紋、日野家の「鶴丸」紋などが知られますが、その中でもこの西園寺家の巴紋は、『現在知られる中では最も古い家紋』の例として挙げられるようです。
その他、公家による巴の家紋の使用は、西園寺家庶流の橋本(尾長巴)・小倉(右三つ巴)・大宮(三つ巴)・山本(右三つ巴)の各家に、高倉流藤原氏・堀河家庶流の樋口家(釣巴)などが知られます。
八幡宮と巴紋の関係
巴紋は、多くの神社・寺院の紋章としても使用が広がっていますが、その中でも特によく知られているのが、『八幡神』を祭神とする「八幡宮」系神社の神紋としての使用でしょう。
八幡神とは、『応神天皇』のご神霊であり、かつては伊勢神宮に次いで皇室の祖神に位置づけられた神です。「生まれながらの武神」と称された応神天皇と同一視されるだけあって、『弓矢八幡』の別称でも知られます。
なぜ八幡神の別称は「弓矢八幡」なのか?というと、それは古代の武官や平安・鎌倉武士が重んじた技能の第一は(槍でも刀でもなく)『弓矢』であり、以来、武家社会では「弓矢は武の象徴」とする価値観が強く根づいたという背景がまず第一に関係しています。
八幡神のご神紋に巴紋が用いられるのはなぜ?
また、応神天皇には、「鞆を携えて生まれてきた」または「出生時に腕が鞆のように盛り上がっていた」といった弓矢と結びつきの強いエピソードも伝わっており、こうした要素が『生まれながらの武神(八幡神)=応神天皇』を「弓矢八幡」とする見方につながったと考えられます。
応神天皇は、別名に「大鞆和気命=おおともわけのみこと」(古事記)を持ちますが、これはこの鞆にまつわるエピソードに由来したものといいます。
さらに「※諡号=しごう」(崩御後のおくり名のこと)は「誉田天皇=ほむたのすめらみこと」(日本書紀)で、実は「鞆=とも」には『ほむた』の読みもあり、「ほむた」は「とも」の古語ですから、応神天皇は諡号もまた「鞆」に由来するものということが言えます。
八幡神は、その信仰の広がりや知名度に反して謎の多い神ですが、神紋の巴の由来に関しては、「鞆」との上記のような深い関係性に依るものとする説が有力視されているようです。
これまでを踏まえると、瓦に刻まれた三つ巴は「水の渦巻き」に由来するもの、太鼓に描かれた三つ巴は「稲光」に由来するもの、神社で見られる三つ巴は「八幡信仰」に由来するものとに大まかに分類ができるのかもしれません。
八幡信仰を由来に武家による使用が急拡大?
武神・弓矢の神である八幡神は、やがて武家の棟梁・清和源氏の氏神に奉られると、のちに武家の守護神としても大いに信仰を集めることとなります。
『長尾景虎』『小早川隆景』『九鬼嘉隆』『清水宗治』『板倉勝重』といった著名武将を始めとした数多くの武家に八幡神のシンボルでもある巴紋の使用が多かったのは、こうした背景によるものだと考えられそうです。
巴紋を使用した有力戦国武将を例に上げると以下のとおりです。
【有名戦国武将】
●長尾景虎(九曜巴)
●小早川隆景(左三つ巴)
●結城秀康(右三つ巴)
●九鬼嘉隆(三頭右巴(左三つ巴))
●山本勘助(左三つ巴)
●清水宗治(三頭右巴(左三つ巴))
●板倉勝重(九曜巴)
●伊奈忠次(二頭左巴(右二つ巴))
●佐野昌綱(左三つ巴)
●宇都宮国綱(右三つ巴)
●小山高朝(左二つ巴)
●有馬豊氏(有馬巴)
●岡部元信(左三つ巴)
●赤松義祐(二つ引両に右三つ巴)
●香川之景(九曜巴)
さらに以下に、巴紋の使用が伝わる中世から近世の武家の例も一部挙げておきます。上記、戦国武将の使用例と併せて見ると、『小山氏』『結城氏』『佐野氏』といった、平将門討伐で知られる鎮守府将軍「藤原秀郷」後裔の東国武家にその使用が目立つようです。
【その他、中世・戦国・近世武家】
●赤穂・大石氏(右二つ巴)
●沼田氏(左三つ巴)
●曾我氏(浪に左三つ巴?三つ巴に雲?)
●杉原氏(剣巴)
●土肥氏(左三つ巴)
●阿曽沼氏(三つ巴)
●山田氏(鱗右三つ巴)
●丸氏(三つ盛り右巴)
●芝山氏(三つ積み右三つ巴)
●山下氏(枡形に左三つ巴)
●金山氏(一つ引きに二つ右三つ巴)
●太平氏(五瓜に左三つ巴)
●新開氏(左三つ巴)
●三河・林氏(左三つ巴下に一文字)
●藤姓・足利氏(三つ巴?)
●琉球国王・尚氏(左三つ巴=ヒジャイグムン)
また、近世に至っても巴紋使用の武家の例は多く、江戸幕府の直臣に限っても350余家を数えたといいます。いかにその一部を挙げます。
【江戸幕府旗本】(定紋使用のみ選抜・大名家の分家含む)
●朝岡氏(左三つ巴)
●朝比奈氏(左三つ巴)
●芦野氏(一の字に左三つ巴)
●有馬氏(有馬巴)
●赤松流・石野氏(左三つ巴)
●板倉氏(左三つ巴)
●市岡氏(右二つ巴)
●伊奈氏(二頭左巴(右二つ巴))
●宇都野氏(左三つ巴)
●大森氏(右二つ巴)
●岡部氏(左三つ巴)
●小浜氏(左三つ巴)
●筧氏(左三つ巴)
●久貝氏(左三つ巴)
●九鬼氏(巴七曜)
●藤原北家流・佐久間氏(左三つ巴)
●佐山氏(左三つ巴)
●杉山氏(庵に左三つ巴)
●曾根氏(丸に左三つ巴)
●高井氏(左三つ巴)
●中条氏(釣巴)
●柘植氏(三頭右巴(左三つ巴))
●長尾氏(左三つ巴)
小笠原流・中島氏(九曜巴)
●長島氏(一文字に左三つ巴)
●贄氏(敷瓦に左三つ巴)
●土方氏(左三つ巴)
●船越氏(左三つ巴)
●別所氏(左三つ巴)
●松崎氏(左三つ巴)
●松野氏(左三つ巴)
●皆川氏(左二つ巴)
●村瀬氏(九曜巴)
●柳世氏(左三つ巴)
●石亀流・山川氏(左三つ巴)
太鼓や屋根瓦の装飾のほか、こうした八幡信仰を通しての武家社会への浸透が、今日における巴紋の普及度や認知度の高さにつながっていると言えそうです。
巴紋種の形状について
古くより広く用いられてきた紋章である巴紋は、多くの変形種や合体種への派生が見られ、その種類の総数はゆうに100を超えています。
1から複数個の「勾玉のような図形」を旋回状に配置するのが巴紋種の基本の図案であり、特に勾玉が3つ配置された『三つ巴紋』の一般的な認知度は格段に高く、その見た目から「三つのものが対立して互いに入り乱れたさま」を意味する「三つ巴」の語源にもなっています。
勾玉一つで円形を形作る「一つ巴」もよく見られる巴紋であり、これら2種と勾玉2つを配した「二つ巴」を合わせた計3種が代表的な巴紋で、多くの変形・合体種はこの3種から派生したものといえます。
これらの巴紋には、勾玉の回転方向に時計回りとその逆のものが存在し、それぞれ別種の紋章として扱われます。また、「巴梅鉢」「巴七曜」「九曜巴」といった、一つ巴紋や三つ巴紋を複数組み合わせて別種とするタイプの派生も見られます。
これらとは別に「方形」や「円形」に類いする図形で囲った(他の紋種にも見られる)一般的な方法による変形種はもちろん、巴の漢字を用いた「字」紋のような図案もあり、バリエーションは豊富といえます。
現在、一般的に知られる勾玉の形状に比べて、尾が長く相対的に頭の小さい「尾長巴」の類や、そもそも頭のない「なめくじ巴」などは、古い時代の巴紋を引き継いだものだともいわれています。
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