家紋『菱』の一覧
菱紋についての解説(概要)
家紋『菱』(菱紋)とは、「斜方形(菱形)に分類される図形」を巧みに用いてさまざまに構成された家紋の一群をいい、そのルーツは、皇室・貴族社会において盛んに用いられていた「宮廷文様」の一種である『菱文様』から来ているものです。
『四つ割菱』『松皮菱』『三階菱』『幸菱』の系統がよく普及し、これらは甲斐源氏の有力氏族である『武田氏』『小笠原氏』、周防・山口の名門武家『大内氏』とその一族・後裔が半ば独占的に用いたことでもよく知られます。
武家や公家といった著名な使用例の詳細は以下のとおりです。
菱紋の著名な使用例(替紋は除く)の一覧
【著名戦国武将】
●『武田信玄』(武田菱)
●『大内義隆』(大内菱)
●『三好長慶』(三階菱に五つ釘抜き)
●『小笠原貞慶』(三階菱)
●『蠣崎季広』(丸に四つ割菱)
●『秋山虎繁』(三階菱)
●『陶晴賢』(唐花菱)
●『溝口秀勝』(溝口菱)
●『山口重政』(大内菱)
●『仁科盛信(信盛)』(四つ割菱)
●『香宗我部親泰』(四つ割菱)
●『木造具政』(四つ割菱)
●『駒井高白斎』(四つ割菱)
●『柳沢信俊』(柳沢菱の葉)
●『長坂釣閑斎』(丸に三階菱)
●『跡部勝資』(丸に三階菱)
●『市橋長勝』(三つ盛り菱)
【中世武家】※戦国武将と重複あり
●『青沼氏』(四つ割菱)※甲斐源氏・逸見流
●『赤沢氏』(下太松皮菱(三階菱)の内十文字)※甲斐源氏・小笠原流
●『秋山氏』(三階菱)※甲斐源氏・加賀美流
●『赤尾津氏』(三階菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『跡部氏』(丸に三階菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『一宮氏』(松皮菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『市橋氏』(三つ盛り菱)※大和源氏・石川流
●『大井氏』(松皮菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『大内氏』(大内菱)※多々良氏(渡来系)
●『大草氏』(轡の内に三階菱)※藤原氏後裔?
●『小笠原氏』(三階菱)※甲斐源氏・加賀美流
●『石見・小笠原氏』(三階菱)※甲斐源氏・阿波小笠原流
●『加賀美氏』(三階菱に王の字)※甲斐源氏
●『北畠氏』(四つ割菱?)※村上源氏・久我流
●『香宗我部氏』(四つ割菱)※甲斐源氏・一条流
●『木造氏』(四つ割菱)※村上源氏・中院流
●『駒井氏』(四つ割菱)※甲斐源氏・武田流
●『塩見氏』(三階菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『下条氏』(三階菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『下曾根氏』(割菱の内に花菱)※甲斐源氏・武田流
●『陶氏』(唐花菱)※周防大内氏・右田流
●『武田氏』(武田菱)※甲斐源氏『源(新羅三郎)義光』の嫡流
●『安芸・武田氏』(武田菱)※甲斐源氏・武田庶流
●『上総・武田氏』(武田菱)※甲斐源氏・武田庶流
●『若狭・武田氏』(武田菱)※甲斐源氏・安芸武田庶流
●『伴野氏』(松皮菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『南部氏』(四つ割り菱→南部鶴)※甲斐源氏・加賀美流
●『松前(蠣崎)氏』(丸に四つ割菱)※甲斐源氏・武田流
●『丸毛氏』(三階菱)※甲斐源氏・小笠原流
●『右田氏』(大内菱)※多々良氏(渡来系)・大内流
●『溝口氏』(溝口菱)※甲斐源氏・武田流
●『三好氏』(三階菱に五つ釘抜き)※甲斐源氏・阿波小笠原流
●『湯川氏』(四つ割り菱)※甲斐源氏・武田流
●『冷泉氏』(大内菱)※多々良氏(渡来系)・大内流
●『鷲頭氏』(大内菱)※多々良氏(渡来系)・大内流
【江戸幕府・藩主家】※上記までと重複あり
●蝦夷・松前藩主『松前氏』(丸に四つ割菱)
●越後・新発田藩主『溝口氏』(溝口菱)
●常陸・牛久藩主『山口氏』(大内菱)
●近江・仁正寺藩主『市橋氏』(三つ盛り菱)
●豊前・小倉藩主『小笠原氏』(三階菱)
●肥前・唐津藩主『小笠原氏※庶流』(三階菱)
●豊前・千束藩主『小笠原氏※庶流』(三階菱)
●播磨・安志藩主『忠脩系・小笠原氏』(三階菱)
●越前・勝山藩主『松尾・小笠原氏』(三階菱)
【江戸幕府・旗本】※上記までと重複あり
●『青柳氏』(四つ割菱)
●『秋山氏』(三階菱)
●『伴野流・跡部氏』(丸に三階菱)
●『跡部氏』(松皮菱)
●『橘氏流・市川氏』(丸に松皮菱)
●『市橋氏』(三つ盛り菱)
●『大井氏』(松皮菱)
●『折井氏』(四つ割菱)
●『加賀美氏』(松皮菱)
●『川窪氏』(武田菱)
●『小笠原流・窪田氏』(丸に松皮菱)
●『小泉氏』(重ね菱・三の字に菱)
●『駒井氏』(丸に四つ割菱)
●『下山氏』(三階菱)
●『下山氏※庶流』(丸に三階菱)
●『小笠原流・高林氏』(三階菱)
●『高室氏』(丸に三階菱)
●『竹川氏』(四つ割菱)
●『竹田氏』(折り入れ菱)
●『武田氏※高家』(武田菱)
●『東条氏』(四つ割菱)
●『伴野氏』(松皮菱)
●『三河・長坂氏』(丸に三階菱)
●『名取氏』(武田菱の内花菱)
●『仁科氏』(四つ割菱)
●『摂津源氏・馬場氏』(武田菱)
●『比企氏』(丸に四つ割菱)
●『日比野氏』(石井筒に三階菱)
●『平賀氏』(松皮菱)
●『藤方氏』(丸に四つ割菱)
●『丸毛氏』(三階菱)
●『水上氏』(丸に三階菱)
【公家】
●『葉室家』(四つ割菱)※勧修寺流藤原氏
●『清水谷家』(四つ割菱)※閑院流藤原氏・西園寺庶流
菱紋の地域分布は?使用家系のルーツは辿れる?
現代における家紋を取り巻く状況を踏まえると、使用家紋のみの手がかりから家系のルーツを辿るのは難しいケースがほとんどであるのが実状といえます。
実際、「武田菱(四つ割菱)」紋については、(実際の血縁上や主従の関係がなくとも)格段の人気・知名度を誇る『武田信玄』に対する憧れや敬愛からこれを使用するようになった家系も多々あるといいます。
しかし、同じ菱紋の中でも「松皮菱」「三階菱」系を使用であれば「甲斐源氏」、「幸菱」系であれば「大内氏」の子孫か、または何らかの関わりがあった可能性は十分に考えられそうです。
地域分布に関しては、山梨・山口・徳島・東京と九州地方に多く見られるようです。山梨は甲斐源氏、山口は大内氏、徳島は三好氏、九州は小倉と唐津地方に近世小笠原氏とそれぞれ関連が深いことが影響しているのでしょうか?
菱紋についての解説(詳細)
すでに冒頭で触れたとおり、菱の家紋は、菱文様の「連続した斜方形図案の一部分」を抜き出して紋章化されたものです。これは、主要な菱紋の「見た目」とその「名称」が、各種の菱文様のそれとリンクしていることからも明らかといえるでしょう。
『菱文様』とは?
菱文様とは、二方向の平行線の交わりによって生み出される斜方形の連続文様をいいます。「東大寺正倉院」にはこの菱文様で装飾された染織物などの美術・工芸品が見られることから、奈良時代ごろには盛んに用いられていたものといえます。
当時、大陸から大量に流入していた多種多様な文物からの影響もあってか、単純な斜方形が基でありながら、これを巧みに応用して「四つ割菱」「松皮菱」「幸菱」「入子菱」などの多様な種類が生み出されました。
これら菱文様は、貴族社会の華やかさの演出には欠かせない「宮廷文様」の一つとして、服飾品、調度品、美術・工芸品などの装飾に多用されたといい、『年中行事絵巻』や『伴大納言絵巻』などの絵巻物作品の織物にも描かれているのを見ることができます。
菱文様の一つである「四つ割菱」は、皇室の定番文様として定着した
また、菱文様は皇室の用いる文様の一つとしても重んじられたようで、かつて天皇・上皇(とその后)の寝具・畳・敷物などのヘリの装飾に用いられた『繧繝錦(暈繝錦)=うんげんにしき』の文様は、「四つ割菱」と「菱持ち(中菱)」が基調とされました。
この『繧繝錦=うんげんにしき』は、「即位の礼」など重要儀式に用いられる「高御座=たかみくら」の玉座の敷物のヘリに現在でも用いられています。また、正倉院収蔵の宝物(=ほうもつ)である「七曜 四菱文 暈繝錦」なる絹織物も七曜文様と共に「四つ割菱」が見られます。
皇室が武田菱を使用?
皇室関連の菱文様といえば、一般参賀が執り行われる「長和殿=ちょうわでん」のベランダ(ガラス張り)の背後に見える掛け飾りに、四つ割菱(武田菱?)が用いられている事で「皇室には武田氏と何らかの関連が?」と毎年のように話題に上ります。
しかし、これも皇室の側からみれば、単に伝統的な慣例に則って皇室伝統の「四つ割菱」の文様を用いているだけに過ぎないというわけです。
このようにして見ると菱文様は、古来より皇室を含めた貴族社会において重きをなした高貴な文様であったといえますが、その単純な形状・構成を考えれば、これは意外な事実といえるのではないでしょうか。
菱文様の由来の他説について
これまでこの記事では、「菱紋は菱文様から派生したもの」というご紹介をして来ましたが、他方ではヒシ科の水草である「ヒシ」の葉や実を象ったものとする説も根強いようです。
この "植物のヒシ説" は「(菱の)紋章」の由来ではなく、「(菱)文様」も含めたものなのかもしれません。
ただ、そうであったとしても、斜方形とは「正方形をひしげさせただけ」の単純な図形であり、これを利用した図案・図柄などは初歩的で平凡な幾何学模様といえ、これを用いた装飾は世界各地の原初文明において多発的に発生しているものです。
実際、日本においても縄文前期には、すでに土器などの装飾に施されていたことが確認されています。
斜方形が、こうした「ごくありふれた図形」であることを考えれば、(菱紋のルーツである)菱文様がどのような経緯をたどって発生したものかを明確にすることは困難であり、とても「起源はある特定の植物の形状を象ったもの」と断定することが適当とは思えません。
ただ、ヒシの葉や実の形状が菱形であるのは確かで、日本における斜方形の形状の総称が「菱」となった由来は、この植物のヒシにちなむものともされます。ちなみに、万葉集にはすでにこの植物が「菱」と記されていることから、菱の名称はかなり古くから存在していたことが分かります。
菱紋といえば武田氏ですが、その由緒とは?
菱の家紋の使用でまっ先に名の挙がる氏族といえば、武田信玄で有名な「甲斐源氏(惣領家)」の『武田氏』でしょうか。
武田氏の出自グループ「甲斐源氏」とは?
甲斐源氏とは、「清和源氏・頼信流(※河内源氏)」の有力武将として知られる『源(新羅三郎)義光』を祖とする系統のうち、甲府盆地の各所に進出して勢力を築いた諸系統の総称をいいます。
※河内源氏…清和源氏の一流で「源頼朝」や「足利尊氏」などを輩出した武家社会における随一の名門氏族。『武家の棟梁』とも称される。
※↑系図は押すと拡大します。
そんな甲斐源氏の総領家で、新羅三郎の嫡流とも見なされる「武田氏」は、(菱紋の一種である)『武田菱(四つ割菱)』を定紋に据える一族として後世に広く知られています。
甲斐源氏・武田氏の家紋はなぜ武田菱か?
「見聞諸家紋」によれば、武田氏が菱紋である武田菱を家紋とした由緒には、武田氏累代の重宝「楯無=たてなし」の鎧が深く関係しているようです。
「楯無」とは、清和源氏の棟梁級が身につけたとされる8つの大鎧(源氏八領)の一つで、「楯がいらないほどの堅牢さ」がその名の由来です。武田氏の家祖にあたる「新羅三郎」より継承されたものといいます。
↑出典: ColBase ※「ColBase」 内コンテンツを加工して作成
当時の棟梁級の上級武士が用いた大鎧の中には、優雅な文様を用いた華美な装飾が施されていることも珍しくありませんでしたが、それは(宮廷文様の)『四つ割菱』の装飾や「花菱」の鋲が各所にちりばめられたこの「楯無」も例外ではなかったと言えそうです。
武田氏の象徴である「武田菱」や「花菱(副紋)」は、この伝家の「楯無」の装飾に由来するものと伝わりますが、これには武田の家名を「新羅三郎由来の大鎧」とつなげることで、自らの出自の貴さを内外に対して強調する意味合いがあったのかもしれません。
「四つ割菱」系の家紋の普及は、武田氏によるところが大きいか?
平安後期の成立から、18代・450年にわたって繁栄した武田宗家からは、さまざまな支流系統が派生していますが、これらの多くは「武田菱(四つ割菱)」や「花菱」を家紋に据えたといいます。
このうち、菱紋種の使用(花菱は含めず)に限っては、『安芸・武田氏』『若狭・武田氏』『蠣崎(松前)氏』『上総・武田氏』が大名格として挙げられ、豪族衆では『香宗我部氏』『駒井氏』『下曾根氏』『湯川氏』などが知られます。
※↑系図は押すと拡大します。
ちなみに、一見同一の紋章に見える「四つ割菱」と「武田菱」ですが、この両者の違いは「菱を4つに分割するすき間」にあり、「武田菱」の方がこのすき間が細くなるようデザインされているとのことです。
武田氏だけでなく、多くの甲斐源氏諸家に共有された菱紋
また、「甲斐源氏」に連なる諸系統のうち菱を紋章に据えた家は、「菱紋って甲斐源氏に共通の紋章では?」と見紛うほどの高い割合に上るようですが、これも「惣領家」にあたる武田氏に倣ってのことでしょうか。
武田氏をのぞく甲斐源氏の主流な系統のうち、『逸見氏』と『加賀美氏』の系統に菱紋の使用が見られ、逸見流では『青沼氏』が、加賀美流では『小笠原氏』と『南部氏』(のちに鶴紋)の両大名格と、武田二十四将の一人である「秋山虎繁」を輩した『秋山氏』が知られます。
特に、中世期に阿波国や信濃国で勢力を持ち、幕藩体制下では一門で5つもの藩を治めた名族「小笠原氏」の系統には、『松皮菱』系と『三階菱』系の紋章を用いた家系が大小、数多に上ったことが確認できます。
阿波・小笠原氏の後裔で、戦国期に畿内一円を掌握して「三好政権」を築いた『三好氏』が特に知られる他、『跡部氏』『伴野氏』『大井氏』などが一部として挙げられます。※詳しくは、上記、箇条書きでまとめた「菱紋の著名な使用例」をご確認ください。
三菱スリーダイヤは菱紋なのか?
また、三菱グループの創業一族として知られる『岩崎家』は、武田宗家より枝分かれした家系といい、家紋には「重ね三階菱」を用いました。岩崎の名も甲斐・山梨郡の岩崎という地名にちなむと伝承されているようです。
土佐における岩崎家は「山内・土佐藩主家」に仕える土佐藩士の家柄ですが、三菱グループの社章で「スリーダイヤ」の名で知られる『寄せ三つ菱』は、主筋である「山内家」の家紋「土佐柏」と自家の「重ね三階菱」を組み合わせて生まれたといいます。
菱紋と周防・大内氏
他方、これら甲斐源氏とは別に菱紋を用いた一塊といえば『周防・大内氏』の一族が挙げられます。
一口に菱紋といっても「大内氏」の場合は(シンプルな形状の「割り菱」系や「松皮菱」系を用いた甲斐源氏とは異なり)、有職文様の一種で比較的凝った図案といえる『幸菱』系の菱紋を用いたことが特徴的といえます。
「大内氏」とは、周防に根拠を築いた渡来系氏族の「多々良氏」を出自とし、室町時代〜戦国初期に中国地方西部から北九州(一時は和泉・紀伊も)にかけて大勢力を築いた名門武家です。
大内氏の庶流家系で重臣の家柄である『陶氏』、同じく大内氏庶流で尾張の国に移り、幕藩体制下では常陸・牛久藩の藩主家であった『山口氏』も「幸菱」系の菱紋を使用しました。
また、『鷲頭氏』『右田氏』『冷泉氏』といった大内氏のほかの庶流家系も同様の紋章を用いたといいます。
武家を中心に多くの著名氏族に用いられた菱紋
このように、甲斐源氏と周防・大内氏を中心に大きな広がりを見せた菱紋は、幕府直臣の大名・旗本に限っても150を超える武家に使用されたことが確認されています。
菱紋にはどんな種類が?その特徴は?
菱紋は、(概ね)「斜方形の直線的な図形を基本に構成される紋章」というシンプルなコンセプトを持ち、比較的アレンジが効きやすいこともあってか、多くの派生種を抱える紋種の一つです。
基本の菱紋・主流の菱紋
基本となるのは、横向きの斜方形(横菱)で、これを※1〜複数個並べたり、くっつけたり、角度を違えたりなどの変化をつけることによって、さまざまな種類を生み出しています。
※「横菱」一個の菱紋は『菱持ち(菱餅)』といい、独立した家紋として扱われる。
中でも、4つの「横菱」を寄せて一つの(割れた)菱形とした『四つ割菱』と、「横菱」を三段に重ねて真ん中を肥大化(中太)させたもので、その形が「マツの樹皮」に似る『松皮菱』(『下太松皮菱=三階菱』含む)は、際立って使用割合の多い菱紋です。
この二つは、菱の宮廷文様の定番である「割菱文様」と「松皮菱文様」をそのまま家紋の分野へ持ち出したものということもあってか、菱紋種の多くはこの二つの系統から派生したものが、実に多く目につきます。
その他の菱紋の種類
ほか、『折入菱』『入子菱』『子持ち菱』『幸(さいわい)菱』も菱文様から持ち出された紋章となっています。
ただ、このうち「幸菱」に限っては、唐花文を菱形にした花菱文を繋いだもの(花菱の先が合うので「先合い菱→幸菱」)が本来の「幸菱文様」であるため、これの一部分を抜き取ったものである家紋「幸菱」は、本来の意味合いからは逸れたものと言えそうです。
また後には、伝統的な宮廷文様である菱文様とは出所の異なる「植物のヒシの葉や実」を象ったものも菱紋に加えられています。
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