【丸に立ち沢瀉】の意味や由来を徹底解説!元は武家の家紋?家系やルーツは?

丸に立ち沢瀉

家紋・丸に立ち沢瀉の素材。高精細フリー画像

[丸に立ち沢瀉]紋は[沢瀉]紋の一種で、沢瀉紋は十大紋の1つに数えらるほど普及し、現代でも使用家系の多い、割とポピュラーな紋属となります。

その中でもこの丸に立沢瀉紋は、使用割合の多い家紋となるのですが、それではどうして丸に立ち沢瀉紋が、「これほど普及したのか?」「そもそもなぜ[沢瀉]がモチーフなのか?」などについて見ていきたいと思います。

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沢瀉紋の由来とは?込められた意味は?

沢瀉紋は、数ある家紋の中でも植物をモチーフに図案化された、植物紋の一種です。沢瀉は[オモダカ]と読みます。かなり特徴的な形の葉を持った野生種の植物で、自然豊かな地域の方は目にしたこともあるのではないでしょうか?

そもそも[オモダカ]って何よ?

オモダカとは、オモダカ科オモダカ属の多年生の水生植物です。水生植物ですから、湿地や沼、ため池、そして水田に発生します。ある程度、生長が進行すると矢じり形をした特徴的な葉をつけます。

沢瀉の特徴的な葉。矢じりに似た形。

その特徴的な葉と、白く可憐な花を咲かせることで、観賞用に用いられることもありますが、基本的には水田にも発生する防除が厄介な植物であるため、稲作が身近であったかつての日本人の感覚としては、しぶとい「雑草」といったところでしょうか。

沢瀉の白くて可憐な花。

一年生ではなく多年生の雑草であるため、除草剤の効きも悪いです。このオモダカも、他の多年生雑草の例に漏れず、種子だけでなく地下茎が発達した「塊茎」からも発芽するため、仮に種子を作れずに地上部が消失したとしても、翌年には、地下から新たな地上部が発生してしまいます。

そのため、いわゆる草むしりのような方法では根絶が難しく、人々に「しぶとい」という印象を与えることが多いのです。

沢瀉の塊茎であるクワイ。先端から芽が出ているように見える。

京野菜やおせち料理に用いられる「クワイ」は、このオモダカの中でも栽培用の品種で、先にも登場した「塊茎」の部分です。塊茎というと一般的には馴染みが薄いですが「じゃがいも」や「こんにゃくいも」が、実はこの塊茎です。

オモダカの「塊茎」は、その形状から「芽が出る」に通じるということで、縁起物の食材として今でも親しまれているのです。

オモダカと日本人

「木瓜」や「藤」「梅」など、古くから特権階級の間で衣服や調度品、建屋の内装などに用いられた文様を家紋のルーツとした物は多いですが、この沢瀉紋もそのような文様の一つで、すでに奈良時代には用いられていたようです。

オモダカは夏から秋にかけて、3弁の白い可憐な花をつける植物ですが、そのこともあってか初夏を彩る代表的な文様の一つとして、親しまれたとのことです。ただ先に挙げた木瓜・藤・梅などは、文様のモチーフとして取り入れられた背景に説明はつくのですが、このオモダカに関しての謂れは定かではありません。

白い花はもとより、その特徴的な形状の葉が、当時の貴族の心をつかんだのでしょうか?

そしてオモダカがそのような文様の一種から、紋章のような使用がされた一例として、平安時代には村上源氏の総本家で清華家の家柄である久我(こが)家が所有する牛車につけたことが記録に残っています。

オモダカの家紋に込められた意味とは?

これまでの説明や画像でもわかるように、オモダカの葉は特徴的な形をしていますが、その葉の形状が矢の矢尻の部分に似ていることから、いつの頃からか「勝い草」(かちいくさ)の別名で呼ばれ、武士階級を中心に縁起物とされました。

さらに伝統的な食材として用いられてきた[塊茎]の部分の「芽が出る」と言った謂れや、取り除こうにも中々根絶できないその「しぶとさ」といった特徴に縁起をかついだ武家の一部がこの沢瀉紋を家紋として採り入れ始めたようです。

小規模国人領主の立場から、一代で中国地方8カ国の支配を確立したことで有名な毛利元就は、勝い草とされるオモダカに、勝ち虫とされるトンボが止まったことで配下の士気を鼓舞し、実際に戦に勝利したことにちなみ、家紋を沢瀉紋に改めたと伝えられています。

戦国期・中国地方の太守であった毛利元就も、沢瀉紋を用いた武将といわれる。

このようにオモダカを家紋として用いるにあたっての意味合いは、尚武的な縁起にあやかってことですが、死ぬかもしれないという場に臨む際の精神状態を想像すれば、縁起でも何でもすがりたくなる気持ちは理解できなくもありませんね。

ちなみにトンボが勝ち虫とされる由来は、決して後ろに飛行することのないその習性から「不退転(退くに転ぜず、決して退却をしない)」に通じるとされたという、これも一種の縁起担ぎです。

沢瀉紋はその家紋としての意味合いから広く武家に重用された。

奈良時代から文様の一種として親しまれていた沢瀉紋ですが、平安末期の源平騒乱の時代には、武士の直垂(ひだたれ)に沢瀉文様を用いたものが記録に残っています。

また、源氏鎧の縅(おどし)の部分に数種類の色違いの糸を用いてオモダカの図柄を表現した、沢瀉縅(おもだかおどし)と呼ばれる大鎧を源氏方の武将が用いているように、沢瀉紋は徐々に武家の用いる文様の一つとして定着していきます。

左側が源氏鎧の「縅」と呼ばれる部分。右側が武士の正装ともされた「直垂」。双方とも文様として沢瀉が用いられた例があるという。

そして単なる文様としてではなく、家を表す紋章としての沢瀉紋を用いた武将の例が、室町中期に記録として残っています。

戦国乱世の時代には大小様々な武家勢力の台頭により、大規模な合戦が頻発し始めると、その家を表す紋章の重要性は、ますます高まってきます。ここでもやはり、その意味合いから沢瀉紋を用いる武家がいくつか登場します。

いくつか例を挙げると、先に紹介した安芸の毛利家、賤ヶ岳七本槍の一人として名を上げた福島正則あたりが有名どころでしょうか。

天下人秀吉の子飼いの武将である福島正則。彼もまた沢瀉紋を家紋に用いた武将の一人である。

意外なところでは、太閤桐紋を用いた豊臣秀吉も、織田家臣団時代の初期はこの沢瀉紋を用いたとされています。甥の関白・秀次が沢瀉紋を用いているように、双方の出自である、木下家がそもそも沢瀉紋であった可能性が高いからです。

半農の身分から天下人にまで成り上がった豊臣秀吉もかつては沢瀉紋を用いていたとされる。

このように尚武的な意味合いで、[鷹の羽]紋や[剣片喰]紋と並び、この沢瀉紋も大小問わず様々な武家に家紋として用いられたのです。

沢瀉紋と同じく、尚武の象徴として武将に用いられた家紋の代表格である「鷹の羽」紋と「剣片喰」紋。

沢瀉紋が広く一般世間に普及していく流れ

江戸幕府が成立し、泰平の世が訪れると、特権階級だけでなく一般階級にも爆発的に家紋が普及します。一般庶民には名字の公称が認められなかったため、家の区別をつけるために家紋を利用しようとしたのです。

どの家にも家紋を定める必要性が生じたというわけです。しかしそのような背景から決められた家紋ですから、この時代に家紋を定めた家は、大抵の場合、その由来に特別な謂れがあるわけではありません。

家紋の普及はどのようにして進んだか?

ケースとして多かったのは、武家や公家などの有力な家系にあやかって、同じ紋属のものを選んだというものです。しかし、[葵の御紋]や[菊の御紋]は(時代によってまちまちですが)、基本的に使用に制限があったため、選ぶことは出来ませんでした。

葵の御紋と菊の御紋。丸に立ち沢瀉が手軽とは言わないが、この二つは恐れ多い印象の強い家紋。

現在でも葵や菊の紋属を使用している家というのはごく稀であろうと思います。(もしそんな家紋を見かけたとしたら、その家は、由緒正しい家柄である可能性が高いでしょう。)

そこで人々は、使用制限のない有力な家系の家紋にあやかろうとします。藤原氏の[藤]紋、権力者の証の[桐]紋が、現在の10大紋に数えられるのはこの影響だと考えられます。

藤紋と桐紋。双方とも成立の経緯を考えれば、格式の高い家紋。現代では沢瀉紋も含めて10大紋に数えられるほど一般に浸透している。

地元の領主や有力な寺社勢力などの身近な名家の紋章にちなんだ例も多いです。地域によって普及している家紋に偏りがあるのはこのためでしょう。地元の有力者に決めてもらった例もあるかもしれません。

沢瀉紋を含む残りの10大紋は、そもそも武家や寺社勢力に広く浸透していた家紋です。沢瀉紋も使用している名家が多かったため、必然的にそれにあやかる人々も多くなったということです。

やはりメジャーな家紋は、その家系をたどるのは難しい。

数ある沢瀉紋の中で、基本形とも言えるのは[立ち沢瀉]紋ですが、この基本形の紋よりもその全体を円で囲っただけという、変形型としては最もスタンダードである今回取り上げた[丸に立ち沢瀉]紋のほうが全体的な普及率は高いとされています。

譲渡や分家の際に元となった家紋に何らかの変形を加えるケースが多かったことと、家紋を調度品や衣服に描く際に、基本となった紋章そのままよりも、円で囲ったもののほうが、デザインとしての収まりが良いというのがその理由とされています。

一般的な家紋の普及の実態、そして十大紋の一つでその中でも、最もよく用いられている家紋であることを考えれば、[丸に立ち沢瀉]紋という手がかりだけでは、家系の由来を紐解くことは難しいと言わざるを得ません。

丸に立ち沢瀉紋は"王道的"な家紋

そしてモチーフが雑草であることも踏まえると、「ウチの家紋って大したことないな。」と思われる向きもあろうかと思います。しかし家紋のモチーフが雑草なのは、何もこの沢瀉紋だけが特殊というわけではありません。

同じく10大紋に名を連ねる片喰紋、蔦紋も雑草ですし、クズやススキ、スミレやナズナなど、例を挙げればわんさと実例があります。

蔦紋と片喰紋。丸に立ち沢瀉と同じくモチーフとなったのは雑草。

確かに、西洋の支配階級が用いた紋章のモチーフを思い浮かべれば、ドラゴン・グリフォン・ライオン・鷲、植物であってもバラであるなど、ゴージャスで華やかで迫力のあるものばかりですが、日本においては、あの徳川将軍家の「葵の御紋」ですらモチーフはフタバアオイなのです。

左からグリフォン・ライオン・鷲をモチーフにした西洋紋章。丸に立ち沢瀉が雑草をモチーフにしていることを考えれば、たしかに派手ではある。

フタバアオイとは、有り体に言ってしまえば[草]です。君主の家系を表す紋章が[草]なのは、長い人類の歴史の中でも徳川家くらいのものではないでしょうか?

これらのことを考えれば、そのいじらしい物を愛でる慎ましさ、そして地味さ加減が日本文化を如実に体現した、象徴的な紋章とも言えるのだと思います。

以上が丸に立ち沢瀉紋の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

丸に立ち沢瀉紋のフリー画像素材について

[家紋素材の発光大王堂]は、家紋のepsフリー素材サイトです。以下のリンクからデータをダウンロードして頂けます。家紋のフリー画像を探しているけど、EPS・PDFの意味がよくわからない方は、ページ上部の画像をダウロードしてご利用下さい。背景透過で100万画素程度の画質はあります。

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