丸に蔦

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家紋・丸に蔦は、ツル性の植物である『ツタ』を象った紋章の一種であり、そのツタの紋種は、「十大家紋」の一つに挙げられます。

ツタは、樹木や建物などをつたって、どんどんとそのテリトリーを広げる繁殖力の強い植物であることから、家系や子孫の繁栄のイメージで捉えられるようになったとされます。

丸に蔦のモチーフとなった植物であるツタの画像

また、『蔦』の字は、草(かんむり)と鳥が組み合わさったものであり、これは本来、地べたに生育するはずの「草」が「鳥」のような高みに押し上げられるという意味合いに取れることから、縁起のよい存在と見なされたようです。

この記事では、そんなツタがどのような背景から家紋となり、そして十大家紋の一つに挙げられるほどの広範な普及に至ったのか、そしてその意味や由来、歴史上の著名な使用者などについてご紹介していきたいと思います。

ツタと古代の日本人との関係

ツタは古来より、モミジなどと並ぶ代表的な紅葉植物として認識されてきました。

その美や風情から人々と近しい関係だった

当時は、今以上に人々と自然との距離は密接であり、(梅・山桜・藤などの)花見はもちろん、「紅葉の鑑賞」も娯楽として重視されており、その傾向は、公私ともに優雅なライフスタイルを形成していた皇族・貴族のような特権階級に、とくに顕著であったことでしょう。

それはツタが、種々の和歌集や歌物語に主題としてたびたび登場していることからも明らかであり、木や岩、または人家の壁をつたって大きく広がったその葉が紅葉するさまは、モミジや楓とはまた別種の趣があり、それが彼らの心を掴んだということではないでしょうか。

丸に蔦のモチーフとなった植物であるツタの紅葉は古来より人々の心を打った。

このようにツタは、晩秋の風情を演出する定番の植物として、上流階級の生活に比較的近しい存在であったことから、彼らの衣服や調度を華やかに彩る「文様」の定番の題材の一つとして取り上げられてきました。

文様の題材として取り上げられることの意味

当時の宮廷社会で用いられていた文様は、時・場所・状況に応じた適切なもの(文様)を用いる必要があるなど、かなり厳格に"秩序立った運用" が為されたことから、ビジュアル的な華やかさを彩るだけでなく、歴史ある宮廷社会の理念や様式を支える重要な要素の一つとして機能していました。

そのためここでいう文様とは、「各人が思いついたものを気軽に題材として用いる」という "軽い感じ" のものではなく、その題材に選ばれる対象は、(概ね)その特徴や由緒により、宮廷の人々の深い認知やなじみの生じた "特別な存在" である必要があったといえます。

ツタの家紋の始まり

家紋は、"平安時代末期ごろにその原型が生まれ、現在知られるような形となるのは鎌倉時代以降" であることから、先の文様などと比べれば、比較的新しい文化だといえます。

家紋の始まりは貴族の愛した伝統文様から

貴族が(牛車や衣服などの)自らの所有物、もしくは個人そのものを示す識別子として、"自らの家系に馴染みの深い文様を紋章化して使用" したのが家紋の原型であり、西園寺家の巴紋・近衛家の牡丹紋・徳大寺家の木瓜紋などが特に知られます。

このように、古くからの文様が元となった "最古参" の家紋には、上記の他に桐紋・藤紋・橘紋などの伝統的でかつ、現在においても定番となっている家紋が例に挙げられます。

古来より使用された「蔦唐草文様」などには、すでに現在知られている『丸に蔦』紋のデザインである『五葉の蔦』が描かれていることから、やはりこの家紋も『ツタ文様』が元になったものと考えてよいのではないでしょうか。

丸に蔦のデザインは「蔦唐草文様」などに見られる古代文様が元となっているのではないか。

当初から広く重んじられた紋というわけではなかったようだ

ただ、上記に挙げた伝統的な定番家紋に比べれば、このツタの家紋を家紋文化の最初期から使用した主立った公家や武家の記録は伝わっておらず、この家紋の記録上の初出は、※見聞諸家紋の『椎名氏』他の記載まで待たなければなりません。

※見聞諸家紋…室町時代中期頃に成立した日本最古の家紋集録書。

椎名氏とは、下総国・千葉荘を本拠とした桓武平氏・千葉氏の流れを汲む一族で、越中守護・北条朝時(鎌倉幕府2代執権・北条義時の次男)の被官(配下)として越中入りし、その後、越中国・新川郡の分郡守護代から、越中国の戦国大名となった家系です。

ツタの家紋の使用例は、史料としての初出こそ室町時代中期ではありますが、この越中椎名氏が(上記の通り)少なくとも鎌倉時代初期にはすでに成立していたことや、他の(史料には残らない規模の家系による)使用の可能性を考えれば、(ツタの家紋は)もっと早い時期から使用されていた可能性は大いにありうるのではないでしょうか。

代表的な使用例

上記のように、当初のツタの家紋の使用は、越中の椎名氏の他、数家にとどまっていたようですが、戦国時代になるとその使用が大きく広がり始めます。

有名戦国武将であるあの二人も使用

代表的な例でいえば、足利将軍家(またはその管領である細川氏)に代わって畿内を掌握していた三好一党のもとで頭角を現し、のちに織田信長とも渡り合ったことで知られる戦国有数の梟雄・松永久秀が、まず挙げられます。

また、豊臣秀吉や徳川家康を始めとしたさまざまな主君のもとで多くの戦功・勲功を挙げ、最終的には伊勢・津藩ほか32万石の太守にまで出世したことで知られる有名戦国武将・藤堂高虎もツタの家紋の使用者です。

ただ、この二人はともに名門の出自ではないため、これより以前の出身家系の動向が詳しく伝わっていないこともあって、ツタの家紋を使用し始めた時期や経緯に関しては不明であるようです。

徳川将軍の親戚筋をはじめ、武家に使用が広がった

さらに江戸時代に入ると、徳川将軍家の(まだ三河の小領主であった時代以前からの)親戚筋である「松平」諸氏にツタの家紋の使用が目立つようになります。

当初、これら松平諸氏は、(事実上の)惣領家である徳川将軍家(当時は安祥・松平家)と同じく、葵紋を使用する家系だったとされます。

これら葵紋使用の松平諸氏のうち、いくつかの系統がツタの家紋を用いるようになったのは、"惣領家" の「三つ葉葵」紋がその当代・徳川家康の天下の一統によって "葵の御紋" と称されるほどの強大な威光を放つようになった事と無関係ではないでしょう。

実際、三河・西尾藩6万石を領した(松平諸氏の中では出世頭ともいえる)『大給・松平=おぎゅうまつだいら』家が、代々の定紋であった葵紋を将軍家(の葵の御紋)にはばかって、ツタに変更したというエピソードが現代に伝えられているようです。

(丸に)蔦の家紋が広範に普及していく流れ

ここまで、ツタが家紋となり、徐々に広がりを見せていくさまをご紹介してきましたが、このツタの家紋が現在において広範に普及している最も大きな要因は、何といっても江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が替紋に用いたことが大きいでしょう。

家紋・(丸に)蔦は、8代将軍・徳川吉宗が替紋に使用したことにより、人気家紋の仲間入りを果たすことになる。

天下の徳川将軍の使用によりブームが到来

徳川将軍家の定紋である「葵の御紋」は、天下の将軍家を象徴するための権威性や希少性の確保の観点から、将軍家自身とそのごく近しい近親以外には厳しい使用制限を敷いたことで知られます。

この状況では一般庶民の使用など、とても叶う状況ではありませんでしたが、それでもこの「やんごとなき紋章」にあやかりたい一心から、葵の御紋と図案のよく似た「河骨」紋や「片喰」紋で、その "代用" とする者まで現れたといいます。

この事からも、"徳川将軍家の使用" という事実は、それだけで高い権威性が付与される要素だったということが分かります。

そこへ来て(替紋とはいえ)この徳川吉宗が愛用したツタの家紋には、上記の葵の御紋のような厳しい使用制限が設けられていないのですから、江戸の庶民がこぞって用い始めるのも無理はないというわけです。

一時のブームに終わらず庶民層に広く浸透

また、ツタのツルが絡んで茂るさまが、"馴染み客に絡まって離さない" 事を連想させるとして、商人にも人気の紋となったことから、その屋号に盛んに使用されたといい、そして同様の理由から、芸妓や花魁を始めとした花柳界にも流行したといいます。

さらに、他の樹木・建物・岩などを基盤に付着して生育する習性から、"頼り付き従う" 事を由来に、西日本で盛んな風習であった "おんな紋" として用いられるなど、女性人気の高い紋でもありました。

丸に蔦の家紋が誕生し、そしてゆっくりとそのシェアを伸ばして現在に至る流れは、以上のとおりとなります。

蔦の家紋を円で囲う意味について

この記事のテーマである『丸に蔦』は、「蔦」紋を丸い図形で囲った形状をしています。そのため、家紋名の頭に『丸に』の語が使われているのですが、この "家紋を丸で囲う" という行為には、一体どのような意味があるのでしょうか?

変形のバリエーションの一つ

『家紋を丸で囲う』という行為は、元となる家紋との区別のために施された『変形』の一種といえます。

「円形」の他には、「角形」もシンプルな変形の手段として存在し、複雑なものになると、「五瓜」「車輪」「熨斗輪」「鞠挟み」「藤輪」などの家紋を『囲い』に利用した例(これは "家紋同士の組み合わせ" ともいえる)もあるように、さまざまなバリエーションが存在しました。

なぜ変形が必要なのか

家紋文化には(自分から見て)「分家」や「家来」の関係性となる相手に、自らの家紋を "相続" または "贈与" するという習慣が存在しました。これは、かなり古くから、しかも頻繁に行われてきた行為だったといいます。

その際、主筋に対する「遠慮」や「(混同を避けるための)配慮」など、 "譲り受けた家紋" をそのまま使用する事がはばかられるという場合の(元の家紋との)区別のために、さまざまな変形が行われてきたのです。

『丸なし』の家紋よりも普及している?

そんな中にあって、この『家紋を丸で囲う』という変形は、最も多く取られたオードソックスな手法といえます。

例えば分家の際に、「本家から相続する家紋」を丸で囲うだけで「違い」と「関連性」を同時に示せるわけで、その手軽さを考えればたしかに合点のいく話といえそうです。

また、紋付きの衣服や調度品の場合、丸で囲った家紋の方がデザイン的に収まりがよいケースが多かったことも、この変形が普及した要因の一つに指摘されているようです。

このような状況から、「丸に〇〇」に類いする家紋はオリジナルの家紋に劣らない普及率を誇る、定番家紋となっているケースが多いようで、それはこの『丸に蔦』紋も例外ではないようです。

以上が【丸に蔦】紋の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

【丸に蔦】紋のフリー画像素材について

【家紋素材の発光大王堂】は、家紋のepsフリー素材サイトです。以下のリンクからデータをダウンロードして頂けます。家紋のフリー画像を探しているけど、EPS・PDFの意味がよくわからない方は、ページ上部の画像をダウロードしてご利用下さい。背景透過で100万画素程度の画質はあります。

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