二つ巴
『二つ巴(ふたつどもえ)』紋とは、神社の神紋・社紋に、また屋根瓦や太鼓の装飾に用いられる紋章として現代でも広く知られる巴紋の一種で、その代表格と目される「三つ巴」紋に次ぐ広がりと認知を誇ります。
形状について
この紋章は、二つの「円から細長い尾が生えたような図形」を旋回状に組み合わせたものをいい、基本形は旋回方向に左右の違いがある「左二つ巴」と「右二つ巴」に分かれています。
これを円形や方形で囲ったもの、細太の線画で表現したもの、黒地の円を白く抜いたもの、他「違い」「組み」「結び」など、人気紋ゆえにその変形種は多数におよんでいます。
二つ巴(巴)紋の由来について
そんな巴紋ですが、文様・紋章としての歴史は極めて古く、また時代による形状の変化が大きいこともあって、その誕生の経緯や由来、紋章に込められた意味などは、諸説が入り乱れる状態となっているようです。
本命は雷の稲光に由来する説?
そうした諸説の中でも「巴の文様は元は雷光を表したもので、ゆえに雷文(らいもん=方形が渦巻いたような文様)から徐々に変化したもの」とする説が多くの支持を集めているようです。
古代中国では、「稲妻は雷神(雷公)が太鼓を打って発生させるもの」とする通念が存在したようで、漢代ごろの雷公の図像は、多数の連太鼓を身に着けた姿で描かれ、その際、稲光(いなびかり)は雷文で表現されたといいます。
「雷鼓」という言葉が、「雷神の持つ太鼓」または「雷鳴」そのものを意味することからも分かるように、かつて雷と太鼓には密接な関連があったことが分かります。
太鼓に描かれる巴紋の考察
こうしたことが背景となってか、太鼓に描かれる巴紋は稲光を表したものとも解されますが、今に伝わるこうした慣わしは、『雅楽』の『大太鼓=だだいこ』(火焔太鼓)に端を発するものと考えられているようです。
「雅楽」とは、5世紀ごろより断続的に渡来した古代中国の宮廷舞楽が元となって発展した芸能・芸術で、その舞台に設置される「大太鼓」は、(火焔宝珠を象った釣り枠台を含めれば)全長が約7mにも及ぶ巨大さで知られ、通常、左右一対で配されるものです。
この左右の大太鼓のうち、向かって【左】方の鼓面には【三つ巴】が、【右】方の鼓面には【二つ巴】が描かれるのが古式となっています。
巴を描くという様式や巴のデザイン形状は、大陸から伝わったものか、日本独自といえるものかは判然としませんが、秦代ごろのとある漆陶器に巴のような模様が描かれていることから、少なくとも紀元前の中国には、すでに巴のような図案が存在していたことは確かだといえます。
いずれにせよ、雅楽は古代・中世期の(皇族・貴族・寺社勢力といった)権門階級にとって、非常に大きな文化的興味・関心の対象となっていたことから、この左右の大太鼓に描かれた巴文様が、今日の巴にまつわる文化的慣習に与えた影響は大きいと言えそうです。
射手の装身具である『鞆』に由来する説も有力か?
また、「かつて弓を射るときに用いられた装身具である『鞆=とも』を象ったもの」もよく語られる説として知られます。
「鞆」とは、矢を射った反動で弦が弓の持ち手に当たることを防止するために手首に巻き付けるもので、革製の丸く膨らんだ部分を内側にして革紐で結びつけて装着します。
巴の勾玉のような形状は、この装身具を象った図案(絵)である(または、巴の形状が鞆の絵のようだ)として『鞆絵=ともえ』の呼び名となり、のちに「うずまき」の意味を包有する「巴」の字が当てられたとしているようです。
「水のうずまき」説などその他
上記、「巴」の字に含まれる意味とは別に、三つ巴紋などに代表される巴紋のデザインが水が渦を巻いたように見えることから、「水のうずまきを表した」とする説も広く唱えられているものです。
ゆえに瓦の装飾によく見られる巴紋には、「火除けのゲン担ぎ」の意味が込められているといい、これは平安末期ごろの流行に端を発した慣わしといいます。
また、その他の説には「勾玉を象った」「胎児を表した」「ヘビがとぐろを巻く姿を表した」といったものも存在するようです。
巴文様・紋章の広がり
巴文様の使用が、古代期にはすでに盛んなものであったことは「雅楽の大太鼓」や「屋根瓦の装飾」に用いられていたことからも明らかだといえるでしょう。
貴族社会における巴文様
また、『春日権現験記絵』や『前九年合戦絵巻』『年中行事絵巻』といった当時の絵巻作品において、(太鼓や瓦のみならず)衣服にまで用いられている様子が描かれていることから、巴文様は当時の生活に深く根ざした存在であったといえます。
さらに巴文様は、中央貴族でも指折りの名門であった『西園寺=さいおんじ家』によって『牛車=ぎっしゃ』に用いる紋としても取り入れられました。西園寺家累代の家紋が巴であるのは、このことに由来するといいます。
神社にも広く用いられた巴の紋章
巴の文様は、時代を経て「家紋」や「神紋・社紋」「寺紋」といった組織や団体を示し表す紋章へと派生していきます。神紋・社紋として巴を用いた神社といえば八幡神を主祭神とする『八幡宮・神社』が特によく知られます。
八幡神とは、応神天皇のご神霊であり、かつては伊勢神宮に次いで皇室の祖神に位置づけられた神です。「生まれながらの武神」と称された応神天皇と同一視されるだけあって、『弓矢八幡』の別称でも知られます。
八幡宮・神社の紋章が巴紋なのはなぜ?
これは、古代の武官や武士が重んじた技能の第一は(槍でも刀でもなく)『弓矢』であり、ゆえに弓矢は武を象徴するものであるから、武神である「応神天皇=八幡神」に弓矢八幡の別称が用いられたというわけです。
また、応神天皇が「武神」とされたのは、(上記、射手の装身具である)「鞆を携えて生まれてきた」または「腕が鞆のように盛り上がった赤子だった」ことに由来するといい、これもやはり「弓矢=武の象徴」という日本古来の価値観が土台になっていると言えるでしょうか。
応神天皇は、別名に「大鞆和気命=おおともわけのみこと」(古事記)を持ちますが、これはこの鞆にまつわるエピソードに由来したものといいます。
また、「※諡号=しごう」(崩御後のおくり名のこと)は「誉田天皇=ほむたのすめらみこと」(日本書紀)で、実は「鞆=とも」には『ほむた』の読みもあり、「ほむた」は「とも」の古語ですから、応神天皇は諡号もまた「鞆」に由来するものということが言えます。
八幡神は、その信仰の広がりや知名度に反して謎の多い神ですが、神紋の巴紋の由来に関しては、「鞆」との上記のような深い関係性に依るものとする説が有力視されているようです。
ここまでを踏まえると、瓦に刻まれる巴紋は「水の渦巻き」に、太鼓に描かれた巴紋は「稲光」に、神社で見られる巴紋は「八幡信仰」に由来するものといった具合に分類ができると言えるかもしれません。
家紋「二つ巴」の著名な使用例について
武神である八幡神は、やがて武家の棟梁・清和源氏の氏神に奉られると、のちに武家の守護神としても大いに信仰をあつめ、この八幡宮・神社の広がりとともに巴紋もまた、全国的な普及を見せるに至ります。
二つ巴紋の使用した武家といえば?
古いところでは、藤原秀郷流・太田氏の庶流を出自とする『小山氏』の「左二つ巴」紋が知られます。小山氏は、平安時代末期ごろに太田氏の一系統が下野国・小山荘に勢力を築いたことを端緒とし、この地を中心に長く関東に影響力を及ぼした名門武家です。
徳川家康家臣で家中の領国経営の中枢を担った『伊奈忠次』で知られる『伊奈氏』は「右二つ巴(ニ頭左巴)」を使用する家系です。
赤穂藩主・浅野氏の家老で、元禄赤穂事件(忠臣蔵)において、赤穂浪士・四十七士を率いた「大石(内蔵助)良雄」で知られる大石氏も「右二つ巴」を使用しました。大石氏は近江国・大石荘を根拠に成立した武家で、上記、小山氏の庶流とされます。
その他、江戸幕臣では
●市岡氏(右二つ巴)
●伊奈氏(左二つ巴)
●大森氏(右二つ巴)
●皆川氏(左二つ巴)
の各家が本紋として、「康政系・石川氏」が「左二つ巴」を替紋として使用したようです。
二つ巴紋のいろいろ
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