家紋 片喰|意味 由来の解説。身分 苗字 有名人なども網羅!|家紋フリー素材の発光大王堂

片喰

家紋「片喰」の高精細フリー画像。

家紋・片喰(かたばみ)は、長宗我部元親・宇喜多秀家・酒井忠次といった名だたる名門武家に使用の多いことで知られるカタバミ紋種の一つですが、今回はその意味や由来、代表的な使用例、苗字や身分などについてご紹介します。

この家紋は、(いわゆる"雑草"として)山野や路傍・耕作地帯など、いたるところに自生しているカタバミ科カタバミ属の多年生植物である『カタバミ』をかたどった『カタバミ紋種』の一つです。

図案化のもととなった植物であるカタバミのイメージ画像

この紋種は、長宗我部元親(七つ片喰)や宇喜多直家(剣片喰)といった名だたる武将をはじめ、多くの武家に使用された紋種として知られ、現在では、「桐」「藤」「木瓜」「鷹の羽」と並んで『五大紋』の一つに数えられるほど広く普及しています。

五大紋のイメージ画像

数ある家紋種の中でも指折りの普及度を誇るカタバミ紋種だけに、その種類は数百に及ぶほどの多彩さを誇りますが、その中において"基本形"ともいうべき存在がこの『片喰』紋だったりします。

カタバミと人々との関わりが文様・紋章化へとつながった

カタバミ紋種の元となったカタバミは、「鏡草」「銭みがき」「黄金草」などの別名を持ちますが、これはカタバミが金属素材のサビ取りに適した成分であるシュウ酸を豊富に含む草本であるため、すりつぶして銅や真鍮製の鏡・仏具などを磨くために重用されたことによります。

サビ取りの対象だった銅鏡のイメージ画像

※画像出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/)

また、抗炎症・止血・解毒・下痢止めなどの作用があることから、生薬の一種としての側面も知られていたようです。さらにクローバーにも似たハート型の葉を持つなど、見た目が可憐であったことも当時の人々の親しみを広げる要因だったといいます。

以上のような「人々の日常生活」との接点から、一定程度の社会的な認知やつながりを得ていたカタバミは、ごくありふれた雑草でありながら、早くから図案化がなされていたようで、こうした「カタバミ文様」は、華やかな宮廷文化を彩る一端を担うべく、衣類・調度・建築分野において広く用いられていたようです。

カタバミの紋章化と公家の使用

主に「家」を識別するための紋章である家紋は、平安時代末期ごろからその存在の萌芽がみられますが、そのころに用いられ始めた家紋の多くは、「有職文様」に代表される各種の宮廷文様の図案が元となっていることがほとんどです。

平安中期から末期の歴史が記された歴史物語である『今鏡』には、正二位・権大納言「源顕雅」(1074-1136)が片喰を車紋に用いていたと記述が見られることから、この『片喰』紋も上記の例に漏れず、かなり早い段階から紋章化に至っていたことが分かります。

「村上源氏」の系統である源顕雅が(この系統は、家紋に「笹竜胆」を用いることで知られる)カタバミを家紋としても用いたかどうかは定かではありませんが、実際に家紋として用いた公家には、「大炊御門」家(清華家)や「冷泉」家(羽林家)などが挙げられます。

源氏に使用の多い笹竜胆のイメージ画像

武家による多くの支持を受けた『片喰』紋

ただ、『片喰』紋の本格的な広がりは室町時代以降で、それは武家を中心とした使用によるものとされています。『片喰』紋が武家に人気を集めた要因には、カタバミの持つある植物的な特性と深い関わりがあるようです。

片喰紋はなぜ武家の人気を集めたか?

カタバミの地上部分は、地面を這うように平面的に発達する「匍匐茎(ほふくけい)」で、成長自体も早いことから見る間に地表に広がります。

地面を這うように発達する匍匐茎の一例

また、多年生植物のうちでも「※地下茎」を形成するタイプの種であることから、仮に地上部分をキレイに刈り取っても、この地下茎から断続的に発芽を繰り返すことになります。

※地下茎…ちかけい。球根の一種。地下部分の茎に養分を貯め、球状または棒状に変形・肥大化して貯蔵器官としての機能を果たす部位のこと。チューリップ・じゃがいも・レンコン・クワイなどが代表例。

地下茎のイメージ画像。ここの存在が駆除を困難にする

以上のようなことから、完全な根絶には一面を深く掘り返して地下部分を含めてすべてを取り除く必要があるため、カタバミには「厄介な雑草」という側面があり、このしぶとさや繁殖力の強さが『家運長久』『子孫繁栄』に通ずることが、武家の人気を集めた要因といいます。

武家による『片喰』紋の著名な使用例

武家による代表的な使用例は、建武政権時に足利氏と覇を競った源氏の名門「新田氏」(←有名なあの「引両」紋とは別に使用)や、徳川四天王の一人で名高い酒井忠次で知られる「※酒井(左衛門尉家)氏」(近世以前は「丸なし」も併用らしい)が挙げられるでしょうか。

※上記、酒井左衛門尉家は、元々徳川将軍家(と一部御連枝)が使用したいわゆる "葵の御紋" で知られる『三つ葉葵」』紋を使用する家系でした。

使用武将の代表例として知られる酒井忠次のイメージ画像

※徳川宗家の葵の御紋は、家康の高祖父にあたる松平長親が、当時の酒井左衛門尉家の挙げた数々の武功にあやかろうと、その紋所(三つ葉葵)を召し出させたことがその由緒といい、その際、代わりに賜ったのが三つ葉葵と形状のよく似た片喰紋であったという曰くが伝えられています。

葵の御紋のイメージ画像

応仁の乱ごろに成立した「日本最古とされる家紋収録書」である『見聞諸家紋』には、長らく近江国・多賀大社の神職(社家)を務めた後に武士化して京極氏に属した『多賀氏』と、同じく京極氏の配下で、越後国刈羽郡赤田をルーツとする『近江 赤田氏』が片喰紋の使用家として掲載されています。

見聞諸家紋に掲載される多賀氏と赤田氏

また、その他の中世武家による『片喰』紋の使用は、上杉謙信の家臣筆頭を務めた「中条藤資」で知られる桓武平氏・三浦氏流の『中条氏』、安芸国の国人領主で毛利氏の重臣で知られる大江氏長井流の『安芸・福原氏』、清和源氏・新田氏の支流である『大舘氏』などが知られます。

『片喰』紋は近世に至っても幕臣の多くに使用された

以上の使用例のほか、近世期・幕藩体制においては「カタバミ紋種」全体で160余りの旗本家が用いたとされ、そのうち『片喰』紋を本紋として使用した(と見られる)のは

●『岡田氏』…五千石の旗本家。清和源氏・山田氏族で、長らく尾張岡田原を根拠地とし、かつては織田信長のもとにも勤仕した。

●『岡野氏』…初めは後北条氏家臣で田中姓だったが、『融成(江雪斎)』の時に板部岡、さらに岡野に改姓。のち一族数家が幕臣旗本となり、総じて(「丸なし」も混在の)片喰紋使用という。

●『中川氏』…元は尾張・織田氏の一族で、信長家臣時代に中川へと改称。関ケ原では東軍に属しに三千石を賜った。

●『中川氏』…一千石知行の旗本。吉田流弓術の名手で織田信長・徳川家康に仕えた「中川重清(将監)」で知られる家系。

などの諸氏が挙げられす。また、替紋などで使用が見られるのは

●『西山氏』…元は甲斐・武田氏家臣で、主家滅亡後に家康に転じた一族という。本紋は「九曜」。

●『河窪氏』…信玄の異母弟・信実を祖とする。武田家滅亡後は、幕府旗本となる。本紋はもちろん「菱」。

●『座光寺氏』…源為朝の後裔。信濃国伊那郡座光寺村に本拠を構えたことが姓の由来。本紋は「丸に違い鷹の羽」。

●『藤井・松平氏(支流)』…三河以来の徳川一門衆の家系で、下総国古河藩主の藤井・松平氏の支流系統によって使用。

などが伝わっているようです。

家紋の普及と『片喰』紋

家紋はその誕生以来、「公家」「武家」「社家」「寺家」の特権層に特有の慣習・文化でしたが、江戸時代になると庶民階級にもその普及が始まります。

江戸幕府による厳格な身分制度の導入により、一般庶民には苗字の公称が許されなくなった背景もあり、家の識別に家紋を用いるという社会通念が発達していったと見られています。

商人に代表される屋号紋や、粋な男女の "洒落紋" である比翼紋、さらには(江戸時代の身分制度においては比較的身分の低かった)遊女や役者・噺家までもが自由に家紋を決めて使用するなど、家紋文化が一気に花開いて一大ブームが巻き起こったといいます。

男性性を示す日向紋と、女性性を示す陰紋との組み合わせ。

そうした状況や通念に適応する必要に迫られて、にわかに家紋を導入した家々も少なくなかったことを考えれば、庶民階級の家紋の由来にいちいち特別な謂れが存在したとも限りません。

それらは単に「縁起担ぎ」だの「形が気に入った」だのであったり、お公家やお武家などの「由緒正しい紋所」や(信仰上のつながりから)氏神・檀那寺の「ありがたい紋章」にあやかったり、村役人や住職といった地元の有力者に相談したりといったケースが大抵であったようです。

五大紋の一角を占めるまで増殖したカタバミ紋種

カタバミ紋種の場合、大名・旗本(大小の領主層)による使用は160余りもの家々に及んだとされることから、そうした特権層から枝分かれを繰り返しながら増殖した多数の傍流家系が引き継いだケースはもちろん、「(身近な)名門家系にあやかった」というケースも多かったのではないでしょうか?

また、その可憐な見た目から、女紋としても人気が高かったとされます。

いずれにせよ、家紋の全体数が飛躍的に高まったこの時期に多くの人々の支持を集めたことが、カタバミ紋の占有率が五大紋の一つに挙げられるほど高いものとなった要因といえるでしょう。

『片喰』紋の使用家に特有の苗字ってある?身分は?家系のルーツは?

特権階級による使用が主だった近世以前の家紋は、それぞれの家系的な出自を端的に示し、また結束を固める役割(土岐一族の「桔梗」・武田一族の「菱」・菊池一族の「鷹の羽」など)を果たしていました。

独占紋を持つ武家は家中だけでなく、世間にもそのイメージで周知されていたという。

しかし家紋を取り巻く環境が、先に述べた江戸時代以降のような状況(血縁的な繋がりや連続性とは無関係な家紋使用の急速な広がり)になると、このような役割を果たす機能は(当然)失われてしまいます。

ましてカタバミ紋種は、五大紋の一端を担う人気・定番家紋であるわけで(こうした傾向がより顕著であったことを考えれば)、「家紋が片喰」という情報だけでは家系のルーツを辿るのは難しいと言わざるをえません。

同じような理由で(かつ、そもそも特定の氏族による独占紋ではなかったこともあり)「片喰」紋に特有の苗字に関しては特に取り立てたものは存在しないようで、実にさまざまな苗字の家系に使用されているタイプの家紋といえます。

またこの紋章は、皇室や将軍家の専用紋ではなく、特別に高貴な家系が使用した家紋という訳でもないことから、使用家系による身分の貴賤を判断する材料とはなり得ないでしょう。

普及の多い地域については特定の偏りはないようで、鹿児島県など一部を除いて、各都道府県とも使用の上位を占めるといいます。とくに大阪・奈良・京都などの近畿圏、石川・福井などの北陸圏によく分布しているようです。

『片喰』の表記について

カタバミの表記は『片喰』が多く見られますが、これはハート型の葉が食いちぎられたように見える(片喰い)ことを由来とする説と、あるいは片葉が3枚であることから『片葉三』から『片喰』となった説も有力といいます。

また同程度か、それ以上によく見られる表記に『酢漿草』がありますが、これは読んで字のごとく、噛むと酸っぱい(酢漿草=酸っぱい汁の草)ことがその由来とされ、ちなみに中国語でもカタバミはこれと同様の表記のようです。

また、家紋においては『片喰』表記で、それ以外の場合は『酢漿草』を用いるケースが一般的とする説もあるようです。

以上が【片喰】の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

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