家紋・柏について

柏紋の家紋ベクター素材。高精細フリー画像

家紋・柏(柏紋)は、古来から神道儀式に関係の深い『カシワ』の葉をモチーフとした紋章です。伊勢神宮や宗像大社といった大神社の神官や、有名戦国武将の使用でも知られます。

今回は、その意味や由来、そして誕生→普及の経緯についてご紹介していきます。また、使用する著名な家系についても合わせてご紹介します。

カシワが家紋となるまで

最初にまず、柏紋のモチーフとなったカシワの木と、古代の日本人との関係をご紹介しましょう。なぜなら、カシワが家紋となった経緯には、彼らにとってカシワの木が、非常に馴染みの深い存在の一つであったことが、その前提にあるからです。

カシワは、なぜ古代に人々に馴染み深い存在だったのか。

実は、日常における実用品だったカシワの葉

大きく柔軟性のあるカシワの葉は、調理器具や食器として古代人に用いられてきました。調理器具としてのカシワの葉は、加熱調理の際に「土器の内底に敷く」という利用がなされていたようです。

土器の内底に敷くために利用されたカシワの葉

かつては、この煮たり蒸したりを『炊ぐ(かしぐ)』と言ったことから、その際に用いられた葉を『炊ぐ葉(かしぐは)』と呼ぶようになったといい、これが『かしわ』の名の由来になったとされています。

また、中国の隋王朝期(581-618)までの、日本を含む東方諸民族の歴史を記した『隋書・東夷伝』には、「日本人は、皿やまな板を使う習慣がなく、カシワの葉に食料を盛って…」といった意味の記述があることから、当時、カシワの葉が "食器" であったことは、広く内外に知られた事実といえました。

しかし、こういった "植物の葉を器具や食器とする習慣" は、『土器・土師器・陶器』といったセラミックスが、時代を経て発展していくに従い、徐々に廃れていったと見られています。

かつての日常習慣は宗教と結びついた

ただ、これらの習慣は、かつては日本人の生活様式ともなっていた関係から、やがて『信仰』の場にも波及したようで、崇拝の対象に捧げる供物の器にも "植物の葉" を用いるようになったようです。

こうしたスタイルは、その延長線上にある『宮中祭祀』(古来から天皇により行われてきた神道儀式のこと。神道の源流であり本流とされる。)へと引き継がれ、日常の生活様式が発展してもなお、神道儀式における供物(神撰と言う)の器には、カシワの葉が用いられ続けたといいます。

この流れは現代に至るまで引き継がれており、神道の最重要儀式とされる『大嘗祭』や『新嘗祭』における供物の器にも、"竹のひご" を用いて、箱型(盛り付け用)と皿型(取り分け用)に成形した "カシワの葉" が用いられていることが知られています。

令和の大嘗祭にもカシワの器が用いられたことだろう

神道における祭祀とは、供物を神に供え奉り、最後にその供物を『神人共食』して終えることが基本形式となります。このことから、神道儀式においては『供物』という要素が、いかに大きなウエイトを占めるものだったかがお分かりいただけると思います。

それを考えれば、神道奉祀者の間で、『供物を盛る器』を「神事を象徴する重大要素の一つ」と見なして "神聖視" し、カシワの葉を『神紋』として掲げる神道施設が登場したことは、至極当然の成り行きといえるでしょう。

信仰の象徴に神秘が宿る

ただ、カシワが古代人にとって身近な存在だったと言える要素は、これだけではありません。

カシワの葉は、一般的な落葉樹と違い、枯れ葉となっても落葉せずにそのまま越冬し、翌春に新芽と入れ替わるまで枝木にとどまり続けるのですが、この奇妙な特徴は、古来の人々に深い印象を与えたようで、彼らはこれを「葉が落ちないように守る神が宿っている」と考え、『葉守りの神』と呼びました。

カシワがその存在を人々に知らしめたのは、この奇妙な特徴なのかもしれない。

このような考えは、皇族や貴族にとっても例外ではなかったのか、『後撰和歌集』『金葉和歌集』『新古今和歌集』『枕草子』『源氏物語』といった優雅な上流階級の様子を今に伝える第一級史料にも、カシワや "葉守りの神" に対する言及が見られます。

認知度・印象の強さが紋章化の決め手

このようにカシワは、(宮中祭祀の件も含めて)朝廷においても一定の認知度があったことから、公家社会を華やかに彩る定番文様の題材の一つに選ばれます。

さらに、これら定番文様の一部は、やがて洗練・簡素化され、マークのような存在へと派生していくのですが、カシワ文様の場合は、前九年の役(1051-1062年)の様子を描いた『※前九年絵巻物』に、すでに登場していることが確認できます。

平安時代には、既に『柏紋』として視覚化されていた。

これらのさらに一部が、やがて『紋章→家紋』へと発展を遂げるわけですが、柏紋の場合は、そもそもが有力な "名門貴族ご用達" の文様というわけではなかったこともあって、公家による目立った使用は『中御門』家とその庶流が知られる程度のようです。

むしろ柏紋は、当初より『社家』による盛んな使用で知られますが、いずれにせよ、これらのようなカシワと古代の人々との深い関係性がなければ、家紋としての成立は難しかったのではないでしょうか。

神職による利用は、柏紋が信仰の象徴であるがゆえ

カシワの『「神事を象徴する重大要素」に欠かせない存在』という背景から、柏紋は家紋文化誕生の当初より、神道に携わることを生業とする『社家』による使用が盛んでした。

神道関係者にとって "カシワの持つ意味" は、よほど大きなものだったのか、それらの中には、かなりの権威を持つ名門家系も数多く含まれています。

柏紋使用の社家は名門がズラリ

具体的な例でいうと、まず『伊勢神宮(外宮=豊受大神宮)』の上位神官である『禰宜』職に就任する権利を持つ "重代家" の一つ『久志本氏』が柏紋を使用していたことで知られます。

続いては、あの三種の神器の一つである『草薙剣』を御神体とすることで有名な『熱田神宮』の大宮司職を世襲した『千秋氏』。

千秋氏の柏紋。

航海・交通安全の神『宗像三女神』を祀る全国・約七千ヶ所の神社の中でも、その総本社とされ、世界文化遺産にも登録された『宗像大社』の大宮司職を長きにわたって世襲した『宗像氏』。

宗像氏の柏紋。

さらには、『吉田神社』の社務職(トップ)で、『唯一宗源神道(吉田神道)』なる神道宗派を創始し、後土御門天皇や足利義政らの知遇を得て宗勢を拡大、以後は、概ね近代に至るまでの長きに渡って、神道界を管理・掌握する立場にあった、史上でも著名な神道一族である『吉田氏』も柏紋の使用家系です。

柏紋普及の核となる要素といえる

以上のご紹介だけでも、いかに神道関連の名家に柏紋が使用されてきたかということが、おわかりいただけたかと思います。

ここに挙げきれなかった他の社家においても、使用が散見されますし、これらからさらに多くの支流家系が派生していくことを考えれば、柏紋の使用が時代を経るごとに増加していったことは想像に難くありません。

武士にも人気のあった柏紋

古今東西、人々が家紋を選択した際の決め手には、様々なものが伝わっていますが、その中でも『縁起を担ぐ』という視点は、代表的なものであり、それは武士であっても同様のようです。

柏紋に見い出された縁起は、カシワの持つ「古い葉と新しい葉が絶え間なく入れ替わる」という習性から『代が途切れない』、さらに("葉" を "覇" に見立てて「覇(葉)を譲る」に通じることから)『世代交代が切れ目なくスムーズに続いていく』といったものが伝わっています。

また、武家の柏紋使用のうち、(神紋や家紋に掲げたことで)柏紋と縁の深い宗派と『氏神⇔氏子』の関係にあったことが、その由来となっているケースもあったようです。

このように、柏紋は社家だけでなく『武家』にも使用の多い家紋でした。

東北の中世大名・葛西氏が使用

武家の使用で代表的なところを言えば、東北地方の中世・戦国大名である『葛西氏』がまず挙げられるでしょうか。

葛西氏とは、関東各地に派生し発展した『桓武平氏』の主流系統である『坂東平氏』(平将門・平清盛・執権北条氏などを輩出)の流れを汲む一族です。

葛西氏の家紋・(月星)三つ柏

(豊島?)三郎清重が、父祖から『下総国・葛西の荘園』を相続し、葛西姓を名乗ったことで成立しました。

この葛西清重は、早い段階から『源頼朝』の挙兵に参加し、種々の勲功をあげたこともあって、頼朝の覚えもめでたく、奥州合戦後には、陸奥国5郡を賜った上で『奥州惣奉行』として戦後処理を任されるなど、東北における葛西氏の地歩を築いた人物です。

戦国時代末期、『豊臣秀吉』により、改易の憂き目を見るまでの長きに渡り、東北地方中東部を根拠に、一定の影響力を保持し続けた名門武家として歴史にその名を刻む存在といえます。

葛西氏と柏紋

葛西氏の柏紋の由来は、奥州合戦の功などで賜った、新領地での祝宴中に「空より三つ葉の柏が舞い降り、当主・清重の酒坏に映った」ことを勢家の瑞兆とみなしたためと伝わりますが、葛西氏の出自である『秩父氏』が、柏紋であることを考えれば、この説は創作エピソードと見ることが妥当でしょう。

古来よりの名門である葛西氏には、多くの庶子家が存在しますが、それらは葛西一族であることを示すためか、柏紋を使用するケースが多かったようです。

傍流が戦国時代に大出世の山内氏

近世以降で柏紋の使用が知られているといえば、『土佐山内氏』でしょうか。

土佐山内氏といえば、織田信長、豊臣秀吉に仕え、東軍に属した関ケ原の合戦後に土佐一国を手にした『山内一豊』で知られ、江戸幕末の動乱期においても、雄藩の一角として存在感を示したことで有名ですね。

土佐山内氏の家紋・丸に土佐柏

ただ、一豊の父が尾張守護代の家老であった以前については、有力な史料がなくあまり知られていないようですが、系図の上では『秀郷流藤原氏』を自称し、河内源氏の一党として活動した首藤氏の流れを汲むとされています。

この首藤氏が、鎌倉郡山内荘を賜ったことで山内を名乗り、のちに土佐山内氏へと連なっていったとされています。この山内氏による柏紋使用の由来は次のとおりに伝わります。

山内氏と柏紋

治承・寿永の乱の際、山内氏が源頼朝方として伊勢国に残存する平家勢力の追討に出た折、当初の旗色は思わしくありませんでした。しかし軍勢が伊勢神宮に至った際、神膳に供えてあった『※三角柏(みつのかしわ)』を "兜の笠標" に掲げたところ、見事に勝利を収めたことに由来するといいます。

山内氏の柏紋。

※三角柏…三節(みおり)の祭と呼ばれる伊勢神宮の3つの大祭や、柏流しの神事の際に使用される柏の葉のこと。

首藤山内氏は、土佐山内氏以外のラインとして、奥州や中国地方にもその血脈を広げていきましたが、やはりその家紋は、柏紋が多いようです。

大小さまざまな武家の使用で知られます

この他、室町時代成立の『見聞諸家紋』によると、水原・雀部・野間・上林・朝日といった各氏による、柏紋の使用が確認されているようです。

見聞諸家紋には、柏紋を使用した武家がいくつか掲載されている。

戦国武将でいえば、江戸時代以前の『蜂須賀氏』、本能寺の変後、秀吉方に与して山崎の戦いで華々しい活躍をした中川清秀で知られる『中川氏』なども柏紋の使用で知られます。

蜂須賀正勝(小六)の家紋・抱き柏

神事に関わりの深い紋章の中でも随一であったことが、今日の普及の理由か

このような形で、社家や武家にその使用が広がっていた柏紋ですが、江戸時代以降は、彼らのような特権階級だけでなく、庶民層への家紋そのものの普及が急速に進んでいくという状況に至ります。

しかし、やはりその場合においても、柏紋が "神社の神紋" や "社家の家紋" として広く普及していたという事実は大きく、そのような神道宗派を地域の『氏神』とする庶民層の存在を考えれば、さらに柏紋の波及が進みやすい状況だったのではないでしょうか。

もともとの柏紋の普及度や、使用の歴史の長さによる裾野の広さに加えて、あまねく一般階層へと家紋の使用が広がっていく状況においても、(結果として)地域信仰の要衝を押さえるという、庶民層への普及に有利な環境を築いていたことが、現在においても、柏紋が広く普及している要因といえそうです。

以上が家紋・柏の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

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