丸に左三階松
「松竹梅」の一角を担うなど、古来より日本文化に馴染みの深い植物・マツを図案化した松紋種。それを丸で囲った「丸に左三階松」は「左三階松」とは別の家紋として扱われます。では「丸」の有無による違いとは?その成り立ちや理由を徹底解説いたします。
丸に左三階松紋は松紋の一種で、マツ科の針葉樹である、マツの木をモチーフとして図案化した植物紋です。常緑で冬に雪や霜にさらされてもその緑の葉を保つ事から、古来より不老長寿の象徴として、尊ばれてきました。
さらにこの松の木には神霊が降り宿ると、こちらも古くより言い伝えられていて、正月に門松として用いられるのはそういった謂れ(神霊が降り宿るのを待つという意味合いで)があるためだそうです。
古代中国には、三国時代の呉に丁固という政治家が居りましたが、その丁固が壮年期頃に、マツの木がお腹の上に生えるのを夢で見て「松の字は十八公から成る。この十八年の後に、私は三公になっているであろう。」と解釈し、事実そうなったという故事があります。
三公(さんこう)とは、かつての中国の官制度に於いて、最高位と位置付けられる3つの官職に就く者の事で、同じくかつての日本の太政官制で言えば、太政大臣・左大臣・右大臣の事となります。
この丁固の「時を待って志しを遂げる」という中国伝来の故事にあやかって、マツを縁起物として捉える風習も存在したそうです。これらの背景から、春を「待つ」・神霊を「待つ」・時が来るのを「待つ」など、松の木は「待つ」という精神性の象徴ともなります。
また、同じく常緑の植物である「竹」と、冬に花を咲かせる「梅」のそれぞれ似たような由来の縁起物の植物を合わせた「松竹梅」の一角を担うなど、古来より日本人に馴染みの深い、日本文化を象徴する植物の一つとなっています。
日本文化を象徴するその他の植物と同様、様々な氏族が家紋として用いる風習が定着していきました。中でもこの丸に左三階松紋は、当時、マツが広く群生していた地域に住む人々が、家紋として用いた傾向が比較的多く見られるようです
今回取り上げた[丸に左三階松]紋ですが、これは見たままの通り、"松紋種"の基本形ともいえる[左三階松]紋を、単に丸で囲ってあるだけの図案です。では、どのような意味があって、元となる家紋を丸で囲ったのでしょうか?
丸で囲うことに限らず、元の家紋に何らかの変形を施す行為は、家紋の歴史上よく見られた行為ですが、それは[本家]に対する[分家]や[主人]に対する[家来]などに、家紋の相続や下賜が行われた場合、元の使用者を憚ったり、または混同が起こらないよう配慮する意味合いがあったためです。
さらに[本家]や[主人]に対する兼ね合い以外にも、一般庶民層が家紋を使うことが当たり前になった江戸時代、有力大名家の代表紋は[そのまま用いてはならない]とした事も、元の家紋に変更を加えて使用する要因となります。
そのため変形と言っても、"丸"や"方形"のような単純な図形ばかりではなく、人気の高い家紋を中心に、さまざまな変形のバリエーションが誕生し、複雑なものでは、"五瓜"や"車""熨斗輪""鞠挟み""雪輪""藤輪"など、"家紋同士を組み合わせた"とも言える、[丸い家紋を用いて元の家紋を囲う]という変形も見られるようになります。
その中でも、"丸で囲う"という変形は、最も多く採られたオーソドックスな変形の手段だったと言われています。分家の際に、本家から相続する家紋を丸で囲うだけで、"違い"と"関連性"を示せる手軽さが定番となった理由のようです。
一般的に考えれば本家よりも分家の方が、圧倒的にその数は多くなることから、オーソドックな変形である"丸に〜"は、むしろ変形の元となったオリジナルの家紋より、普及率が高くなる事も珍しくありません。
ただし、松紋種は極端な種類の偏りが少ないようで、割合どの種類もまんべんなく普及しているようです。
以上が丸に左三階松紋の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。
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