家紋 鷹の羽|種類の一覧(178種)と解説|家紋の発光大王堂

鷹の羽(たかのは)紋

鷹の羽紋の詳細解説

この家紋種は、空における生態系の頂点である猛禽類のタカに備わる「羽根」の部分を象ったものです。空の王者であるこの鳥は、勇猛で強靭、かつシャープなイメージで古来より認知されてきました。

鷹の羽紋の題材となった猛禽類のタカ

タカと古代の人々の関係

猛獣・猛禽のたぐいであるタカは、本来トラやクマなどと同様に、人間社会とは一線を画して不思議ない存在といえますが、実際のところは「古来より人々になじみの深い生物」だったといえます。

こうした関係性を生み出した要因として第一に挙げられるのは、やはり飼い慣らした中型の猛禽類を山野に放って行う狩猟の一種である『鷹狩り』ではないでしょうか。

現代人の我々からすると、鷹狩りは「武士の嗜み」というイメージが強いですが、実は「手にタカを乗せた埴輪」が出土していることからも分かるように、古墳時代(もしくはそれ以前)から皇族や上級貴族が軍事訓練を兼ねて行ってきた伝統的な習わしだったりします。

『埴輪』が存在する以上、古墳時代にはすでにそうした文化が存在していたと言わざるをえない。

史料の記録から、少なくとも飛鳥時代には、専任の「鷹匠」や狩場に指定された「禁猟区」が存在し、天皇による鷹狩りが「朝儀」の一環として行われていたことがわかっています。

「鷹の羽=武の象徴」は、タカと古代人の関係性から生じた価値観

このような背景から、(上記のようなイメージを持つ)タカを「武」と結びつけ、そのタカを端的に示す『羽根』を「武の象徴」とする伝統的な価値観は、古代の朝廷が由来のものと考えて良さそうです。

実際、「タカの羽根」を(各種の「礼冠(正礼装に用いる冠)」のうち)上級武官の礼冠(武礼冠)の飾りにあしらったり、(即位儀・朝賀・各種節会などの重要朝儀の際には)近衛(天皇の身辺警護を司る武官)府の庁舎に掲げたりといったことが行われたようです。

上級武官の正礼装である「武礼冠」にあしらわれたタカの羽根。武官の礼冠にふさわしい。

鷹の羽は武家社会にも『尚武』のイメージで定着していた

また「タカの羽根」が、かつて弓矢の矢羽根の材料であったという事実も見逃せません。

和弓の矢羽根の部分には、タカの羽根が用いられることが一般的という。

平安時代中期に武家が勃興し始めたころ、彼らにとって最も重要視された技能は、(槍でも刀でもなく)弓矢であったことから、長らく武家社会には「弓矢=武士」という伝統的で保守的な見方が共有されていました。

『弓取り』という語が、「武士そのもの」を指す意味を含んでいるのは、こうした価値観によるものでしょう。

こうしたことから弓矢は、「尚武」の意味合いを帯びるようになりますが、「タカの羽根」がその材料であることは、「タカの羽根=武」とする見方をさらに補強するものといえます。

矢も家紋として存在するが、鷹の羽紋同様、尚武の意味合いを持つ紋所であり、やはり武家に重用された。

これらのことから「タカおよびその羽根」を『武の象徴』とする価値観は、古来より社会に浸透していたものだったといえるでしょう。

タカの社会的認知の高さが、鷹の羽の図案化や紋章化へと繋がった

かつて、朝廷の貴族社会を華やかに彩る役割の一端を担った文様(衣装・調度・建築に用いられる図柄)は、彼らや社会に馴染みや深い関わりを持つようになった対象がその題材となってきました。

具体的には「」「」「」「」などが例に挙げられますが、これらはどれもその存在に特別な由緒や特徴が認められ、貴族社会に特別視されたものばかりです。

それは、武を象徴するものとして一定程度の社会認知を得ていたこのタカの羽根も同様だといえます。

現在において、広範な普及を獲得している定番家紋は、伝統的な種がその多くを占めますが、これらはこうした「古代文様群」から派生して紋章化されているのが一般的であり、それはこの鷹の羽紋もやはり同様です。

鷹の羽紋は九州南部で盛んに用いられ始めた?

鷹の羽紋は、誰に・いつ頃・どのようにして用いられ始めたものかについては判然としない紋種ですが、使用例の史料上の初出は『蒙古襲来絵詞』で、肥後の御家人・菊池武房の郎党が「並び鷹の羽」紋を掲げるさまが描かれています。

「鷹の羽紋といえば菊池氏」という状況は長らく続くことになる。

肥後の菊池氏は、「元寇における奮戦」や「南北朝期の後醍醐帝の皇子(懐良親王)を奉じての九州支配確立」などで知られる九州を代表する武家の名族です。

彼らの代表紋が、並び鷹の羽紋であったことは後世にも伝わっていますが、鎌倉時代の中期ごろにはすでに使用の事実があったことが、「蒙古襲来絵詞」の描写によって明らかとなっています。

菊池氏の鷹の羽紋は、信仰対象の神紋が由来となったか?

菊池氏の代表紋が鷹の羽であるのは、肥後国の一宮であり、2000年に及ぶ歴史と全国500社の分社を有するとされる『阿蘇神社』に関係するものといわれています。

阿蘇神社の存在なくして鷹の羽紋は語れないといっても過言ではない。

阿蘇神社の位置する阿蘇郡は、菊池氏の根拠地である菊池郡と隣り合っていることもあってか、この両者は古来より密接な間柄であり、阿蘇神社は菊池氏の氏神であったともいわれます。

阿蘇神社の神紋は、古来より鷹の羽(違い鷹の羽)であることが知られており、菊池氏の鷹の羽はこれを賜ったものと伝える史料もありますが、いずれにせよ阿蘇神社の影響であることは間違いないようです。

菊池氏の後裔家系に連綿と受け継がれてゆく鷹の羽紋

鷹の羽紋は、長らく菊池一族(と※阿蘇氏)の代表紋として広く認知を得ていましたが、宗家の衰退(←室町時代後期ごろ)後も数多にのぼった庶流によってその使用は広がり続けることになります。

※阿蘇氏…阿蘇神社・大宮司職の世襲家。神代から続く数少ない指折りの旧家。

鷹の羽紋使用の菊池氏の庶流は、赤星・城・甲斐・西郷などがよく知られています。そのため "維新三傑" の一人である『西郷隆盛』の違い鷹の羽紋は菊池氏由来のものと見られているようです。

西郷隆盛の家紋といえば明治帝に賜った菊紋のイメージが強いが、西郷氏重代の家紋は違い鷹の羽だった。

南北朝の動乱を境に菊池氏の血脈は関東や東北へも広がったといいます。岩手県遠野市では、現在でも家紋に鷹の羽を据えた「菊池(地)さん」世帯が約2割ほど存在するようです。

これは菊池氏が南朝方の代表的な勢力であったことから、全国各地に派遣された後醍醐帝の多くの皇子にも菊池一族が随行していたことが要因ではないかとする説があります。

鷹の羽紋の持つそもそもの意味が、多くの武家を惹きつけた

時代が下ると、菊池一族以外の武家による鷹の羽紋の使用例も目立つようになります。「武の象徴」の意味合いを持つ紋章であるため、「尚武の精神」を重んじる家であれば、この紋所を好んで据える選択をしたとしても不思議はありません。

浅野氏は、鷹の羽紋の大物藩主家による使用の顕著な代表例

その代表例にまず挙げられるのは、元は美濃・土岐氏の一族で、一般的には尾張・織田(弾正忠家)家中の羽柴秀吉に属したことで知られる『浅野氏』でしょうか。

安芸・広島藩主家『浅野氏』の専用紋である「浅野違い鷹の羽」

秀吉の一門格として豊臣政権で重きをなすと、幕藩体制下では一族で安芸国の広島藩・三次藩・新田藩、播磨国の赤穂藩を領するなど、近世大名としては指折りの名族といえる存在です。

この家系は当初、オーソドックスな「丸に違い鷹の羽」を使用していましたが、出世に伴って(他の鷹の羽紋の家系との差別化の意図から)複雑な模様を刻んだ「浅野違い鷹の羽」なる独占紋を生み出して使用するに至りました。

こうしたスタンスは、安芸国の分家である三次藩主家・新田藩主家にも踏襲されますが、「忠臣蔵」で知られる赤穂・浅野家はオーソドックスな「丸に違い鷹の羽」のままであったといいます。

忠臣蔵で知られる赤穂藩主・浅野内匠頭は、家紋が鷹の羽紋で分かるように広島藩主・浅野氏の一族だった。

徳川譜代の名門による使用例も

三河・松平氏時代以来の徳川譜代の家柄である『阿部氏』のうち、徳川家康の人質時代から側近くに近侍した阿部正勝の系統も鷹の羽紋の使用しています。

阿部氏(正勝の系統)は、幕政の主要ポスト(老中・大阪城代・京都所司代など)を歴任した優秀な幕閣を幾人も輩出したことから、数ある徳川譜代家系の中でも有数の名門といって良さそうです。

鷹の羽紋の使用家である阿倍氏は、弱冠27歳で老中首座を務めた「阿部正弘」がよく知られる人物。

備後・福山藩主家(宗家)の系統は「阿部鷹の羽」を、陸奥・白河藩主家(豊後守家)の系統は「白川鷹の羽」を、上総・佐貫藩家(因幡守家)は「丸に違い鷹の羽」の使用で知られます。

また、これらの系統から派生した旗本クラスの阿倍氏も、そのほとんどが鷹の羽紋の使用家であったといいます。

その他、大名・旗本の主な使用例は以下の通り

その他の大名家では、

●片桐且元で知られる片桐氏の「片桐違い鷹の羽

●下総関宿藩主・久世氏の「久世鷹の羽

●下総高岡藩主・井上氏の「井上鷹の羽

●河内丹南藩主・高木氏の「高木鷹の羽

の使用が代表的なようです。旗本家では、

●布施氏(徳川譜代)・三輪氏(徳川譜代)・門奈氏(徳川譜代)・座光寺氏の「丸に違い鷹の羽

●阿部氏(阿倍定次の系統)・西郷氏(菊池氏由来か?)の「丸に一つ鷹の羽

●久世氏(一族から関宿藩主家を輩出)の「丸に並び鷹の羽

●荒川氏(足利氏後裔・徳川譜代)の「丸に割り違い鷹の羽

●日向氏(元は甲斐・武田家臣?)の「石持ち地抜き違い鷹の羽

以上の家のほか多数を数え、鷹の羽紋の使用は(大名家を合わせて)120を超えるといいます。

また、(維新前後の志士、活動家、明治以降の政治家、経済人、軍人など)江戸時代以降の著名人を輩出した家系の使用では、「入江氏」「広瀬氏」(丸に並び鷹の羽)、「真木氏」(三つ並び鷹の羽)などが知られているようです。

今日の広範な普及の要因として考えられるのは?

その誕生以来、長らく支配階級に特有の慣習であった「家紋の使用」は、江戸時代以降、一般庶民の間にも急速に広まっていきます。

それまで家紋を持たなかった一般庶民が新たに据える家紋を選択する際の決め手には、いくつかの傾向があったようですが、「身近な上流階級にあやかる」というのは、その代表的な一例といえるでしょう。

上述の通り、すでに武家を中心とした支配階級にその使用が広がっていた鷹の羽紋は、「身近な上流階級にあやかる」という層を取り込みやすい状況にあったといえ、こうしたことが今日、鷹の羽紋が「五大家紋」の一角を占めるほどの広範な普及率を獲得できた大きな要因であると考えられます。

もちろん、支配階級の使用が多数に上るということは、その紋所を引き継いで枝分かれする(膨大な数に達したであろう)支流家系の存在も今日の普及状況に小さくない影響を与えているのは間違いないといえそうです。

使用の多い地域や苗字は?

地域別の分布は、阿蘇神社や菊池氏の影響からか、九州南部での使用が目立つほか、関東でも広く普及しているようです。

使用の多い苗字については、江戸時代以降に(既存の使用家系と血縁上の関係がない)一般庶民による使用が急増したこともあり、上記の使用例に挙がった苗字以外にも多様な例が存在するようです。

以上が鷹の羽紋の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

鷹の羽紋のフリー画像素材について

【家紋素材の発光大王堂】は、家紋の意味や由来などの詳細解説サイトです。以下のリンクからデータをダウンロードして頂けます。このページのデータは、当サイトの鷹の羽紋のフリー素材をある程度まとめた特別版となっています。個別のDLが面倒な方はご利用ください。

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