丸に抱き柏
丸に抱き柏(まるにだきかしわ)の家紋は、伊勢神宮や宗像大社といった有力神社の神職や、島左近・山内一豊などの武家が使用した柏紋の一種ですが、今回はその意味や由来の他、武将や有名人についてもご紹介しています。
カシワと日本人のつながりについて
古代中国の歴史書である「隋書・東夷伝」に、「日本人は、皿やまな板を使う習慣がなく、カシワの葉に食料を盛って…」といった内容の記述もあるように、かつての日本ではカシワの葉を『食べ物を盛る器』(食器)として利用していました。
日常の営みの中でも、大きなウェイトを占める要素である『食』に関連しているわけですから、カシワは古来の日本人にとって、比較的身近な存在だったといえるでしょう。
かつての習慣は今も神道に息づいている
このような生活習慣は、信仰の分野にも大きな影響を及ぼします。
当時の信仰といえば、人々の日常の中から自然発生的に興ったもので、生存の可否を大きく左右する存在であった『自然』(太陽や山・川・海など)を崇拝の対象とし、「その対象に『供物(くもつ)』を捧げて祈る」という非常に素朴で原始的な構造をしていました。
この "原始宗教" における供物(おもに食料・嗜好品)を盛る器には、カシワなどの植物の葉が用いられていたわけですが、これは当時の生活習慣を反映したものだと考えてよいでしょう。
こうした習わしは、この原始宗教を土台に発展した『神道』へと引き継がれ、現在でも「大嘗祭」や「新嘗祭」における供物の器には、カシワの葉が用いられています。
「神聖」なものや「めでたい」ものとしてカシワの認知が広がる
こうした経緯を背景としてか、カシワに対しては「神聖性」や「瑞祥」を見い出す価値観が芽生えていったようで、こうした意識は皇室神道(宮中祭祀)を通したつながりもあり、朝廷の貴族社会にも浸透していたようです。
カシワを象徴する特徴に「冬季に枯れ葉が落葉せず、翌春の新芽の芽吹きまで枝に留まり続ける」というものがありますが、これを「カシワには、樹木を守る神(葉守りの神)が宿っている」と神秘的に解釈していたのも、こうした意識が根底にあってのことでしょう。
カシワが、こうした印象で貴族社会での周知を得ていたことは、「新古今集」を始めとした和歌集や「枕草子」「源氏物語」のような文学作品に「葉守りの神」の語句が散見されることからも分かります。
文様から紋章へと図案化されていったカシワ
このように、貴族社会から一定程度の "親しみ" を得ていたカシワは、(梅や藤や蔦などと同様に)早くから図柄(文様)化され、衣服や調度の装飾に用いられていました。
『前九年絵巻物』に図案化されたカシワが描かれているシーンがあるように、この時代(11世紀半ばごろ)にはすでにマークに近い使われ方をしているようにも見えます。
伝統的な家紋の多くは、古くから社会に定着し、親しまれてきた伝統文様から派生するのが一般的(桐紋・藤紋・木瓜紋など)です。
当然それはこのカシワ紋も例外ではなく、まず前段階として「文様」が存在しているのであって、突然「紋」として誕生したわけではないというわけです。
元は神紋や社紋だったものが、武家などの家紋となっていった
上述のように、神道はカシワとの結びつきが強い側面もあるため、当初のカシワの紋章は、神社やその祭神の神紋、または社家の家紋としての使用が特に盛んでした。その使用家の(数え上げたらキリがありませんが)著名な例でいえば
●伊勢神宮(外宮)の禰宜(ねぎ)職を世襲した『久志本』氏
●熱田神宮・大宮司の『千秋』氏
●宗像大社・大宮司の『宗像』氏
などがよく知られるところでしょうか。
カシワ紋は徐々に武家(を始めとした諸勢力)にも浸透していきますが、これは単純な信仰の対象(氏神⇔氏子の関係)や、神領・社領(神社勢力の荘園)の代官(実際的な現地の統治者)といった「神道勢力との関係性」を通じてのことだと考えられます。
また、先の「新葉と入れ替わるまで古葉が失われない」という習性から『代が途切れない』や("葉" を "覇" に見立てて)「覇を譲る」として『世代交代(跡目)で揉めない』といった『縁起担ぎ』の側面があったことも見逃せないところです。
使用の代表的な武家は(陸奥)葛西氏、(土佐)山内氏、蜂須賀氏(近世以前)、島(清興)氏、(摂津)中川氏、牧野氏などが、公家では中御門家などが知られます。
カシワ紋が現在のように広範な普及を果たしたのはなぜ?
当初は公家・武家・寺家・社家といった特権階級に特有の文化・習慣であった家紋ですが、江戸時代に入ると一般庶民にも使用が広がっていくことになります。
ここで新たに家紋を持つ庶民から多くの支持を得た人気家紋(の一つ)であったことが、今日におけるカシワ紋の広い普及につながっているといえます。
当時の人々が家紋にカシワ紋を選択した背景には、すでに全国津々浦々の武家や社家に広く普及していたことから、「『身近な領主』や『地域の氏神』にあやかる」という理由で家紋を選択する層を取り込みやすい状況だったことがまず挙げられます。
また、「かしわ餅」の例でも分かるように、カシワはそもそも「縁起物」であるという側面も見逃せないでしょう。※ただし、「かしわ餅」とその文化に関しては、18世紀に成立したと見られるかなり新しい慣習です。
カシワ紋の使用家のルーツは?
上述のように、カシワ紋は複数の社家の権門クラスによって使用された紋所であるのため、そもそも特定の氏族による専用紋の類ではありません。
※坂東平氏・良文流の秩父氏の系統(葛西氏・豊島氏など)など、氏族ぐるみで使用例がないわけではない。
その上、江戸時代以降、血縁上の連続性のない使用が急増したことを考えれば、使用家紋の情報のみで「家系のルーツ」を特定するのは難しいタイプの家紋であるといえそうです。
使用家の苗字は?使用の多い地域は?
カシワ紋を使用する家系の苗字については、こういった普及の規模(十大家紋の一つ)と経緯であるため顕著な偏りは見られず、少なくとも特定の例を挙げるのは難しいという状況といえます。
使用の例は全国各地に見られますが、強いて言うなら「東北南部」に「旧・武蔵国」周辺と、西日本なら大阪が使用の多い地域とされます。
家紋を「丸い枠で囲う」のはナゼ?
『丸に抱き柏』のように、「元となった家紋」の外側を「丸い図形で囲った」例は少なくありません。これは、元となった家紋との「繋がり」を示しつつも、同時に「区別」も表すために施された『変形』の意味合いが強いようです。
かつては、子が元の家から独立する際に、別種の紋章を新たな紋所に据えるケースは稀であり(同族であることを示す意図も含めて)たいていは生家の家紋を引き継ぐというのが一般的でした。また、主人からの紋章(の使用権)の贈与も珍しくなかったようです。
最もシンプルでありながら、しかし区別がつけられる変形方法
その際、実家や主家との混同を避けるために「元の家紋に変形を加える」という行為が頻繁に行われたようで、そうした時に最も多く施されたのがこの『丸い図形で囲う』だったのです。
また、衣服や調度品に紋を入れる場合、見た目の収まりが良いという理由から『丸い外枠』が付け足され、いつの間にか定着してしまったというケースもあったといいます。
こうした要因から、家紋の「丸に〇〇」の種は、オリジナル(の家紋)に勝るとも劣らない普及率となっているケースも少なくないようで、それはこの『丸に抱き柏』紋も例外ではないようです。
以上が【丸に抱き柏】紋の解説でした。カシワ紋についてさらに詳細に知りたい方は↓こちらから。
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【丸に抱き柏】紋のフリー画像素材について
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