丸に蔦

この丸に蔦のフリー素材画像は1000×1000ピクセルの高精細画像になります。基本的に(法人利用であっても)フリーで画像を使用可能ですので、御用の方はご利用いただいてかまいません。"

かつては徳川将軍家の替紋として高い権威を誇った蔦が元となった「丸に蔦」紋。丸の有無による違いとは?その辺りも含めて「丸に蔦」の意味や由来を紐解く事で、家系やルーツを探るヒントになるかも?

家紋[丸に蔦]はブドウ科ツタ属の落葉性の樹木で、いわゆる"つる植物"に分類される"ツタ"の葉・茎・花を図案化した[蔦紋]の一種です。蔦といえば、自然界においては岩石や他の植物、人里においては建物の外壁などに絡まるように伝って伸びる樹木としておなじみですよね。

青々としげるツタの葉のイメージ。

そんな"蔦"を紋章化した蔦紋は、現代に於いては、数ある紋種の中でも比較的使用家系の多い家紋であるため、"十大紋"の一つとして分類されています。その中でも今回は、[丸に蔦]が「どのようにして家紋となったのか」「なぜ使用家系が多いのか」について、焦点を合わせていきましょう。

十大紋に挙げられる、桐・藤・鷹の羽・木瓜・片喰・蔦・茗荷・沢瀉・橘・柏のそれぞれのイメージ画像。

※丸に蔦のベクターフリー素材をお探し方へ。[EPS][PDF]ファイルのダウンロードリンクはページの最後にあります。

かつての日本人にとっての"蔦"とは?

蔦は、詳細な季節変化の表現で知られる"七十二候"の一つにも[楓蔦黄](楓や蔦が色づく季節)とあるように、代表的な紅葉植物の一つとして古代より認識されてきました。

「楓蔦黄」を含む七十二候の内の一部を紹介した画像。

当時の人々は現代人に比べ、自然に対する意識が今よりもずっと敏感で、花見や紅葉の鑑賞は奈良の昔から、とても重要かつ貴重なイベントだったのです。

その中でも[丸に蔦]のモチーフとなった蔦の紅葉の、その風情は特に鮮烈だったようで、奈良時代より数々の和歌集や歌物語集で、題材として取り上げられていることからも、蔦は非常に身近な存在として認識されていました。

蔦の紅葉は鮮やかな紅色であることが有名。

そのような経緯もあり、蔦は歌の題材にとどまらず、平安貴族のさまざまな服飾や調度の定番文様の一つとして取り入れられました。

華やかな公家文化の一翼を担う。

華やかな公家文化を形成する上で欠かせない要素であり、遠くオリエントから伝来したのち、国風文化を代表する文様となった"有職文様"ですが、その内の一つである"唐草文様"と組み合わせて使用された[蔦]文様は、華やかな公家文化の一部として、古来より人々に親しまれてきました。

古くから今日の貴族に愛された蔦文様の代表的な図案である蔦唐草文様。

蔦文様は、"五葉の蔦"の形状そのままに、古来より重用されたため、その頃にはすでに紋章としての原型が整っていたと言えます。よって今回取り上げた[丸に蔦]も、家紋のデザインとしては、最も長い歴史を誇るものの一つと言えるでしょう。

見慣れた文様が、家を表す紋章へ。

では、文様である蔦が家紋として取り入れられていく流れはどのようなものだったのでしょうか。そこには少なからず日本社会の"成熟度"やそれに伴う"家系"という概念の変化が関わって来るのです。

原始的な国家体制下では、シンプルな識別子で事足りた。

現代の日本では、[氏][姓][苗(名)字]は概ね同じ意味で用いられていますが、近世以前、これらには明確な違いが存在し、特に日本が概ね単一国家として成立する以前には、一部支配階級が使用する[氏]が存在するのみでした。

そもそも[氏]とは父系に共通の祖先を持つものが共有する氏族の名称で、朝廷が発足して以降は、地名や王権の職掌が由来のものから、天皇の命名した"藤原"や"橘"などまで、支配階級が各々属する氏族を識別するために使用されていました。

氏の限界。名字の誕生へ。

古代中国の体制を参考にした律令制の成立など、社会制度が安定するに従って、"藤原氏"や"源氏"といった一部の氏族による権威・権力の長期にわたる独占が起こります。そうなると当然、これら特定の氏族が社会の上層部に氾濫し、家系による区別がつき辛くなるという弊害が発生しました。

そして、荘園(領国)の誕生を経て、律令制から封建制へと緩やかにシフトしていく中で、その傾向はより顕著になっていきます。

そこで、個人を識別する機能を失った[氏]に代わり、"近衛(藤原氏)""九条(藤原氏)"や"足利(源氏)""武田(源氏)"のような、より細分化した区分けである[名字]が誕生し、(日常的には)[氏]に取って代わるようになります。

「名字」と「氏」の性質の違いを代表的な歴史上の人物をわかりやすく例に上げて解説した画像。

名字の由来は、領国や屋敷の地名・地位や職掌などですが、それらは代々引き継いでいくべき財産とも言え、引き継ぐべきものがある以上、[家]中心の意識が芽生えるのは必然で、それが[氏]とは別次元の新たな[家系]という概念に繋がっていったのでした。

いくら同じ氏族とはいえ、共通の祖先にたどり着くのにどれほどの世代を遡る必要があるのかすら定かではない関係性の上に、名字という異なる"識別子"と名字に由来する"財産"を持てば、余計に同族意識を失うのは当然の帰結です。

時代が下るにつれ、特に武士を中心に、元の氏族同士による反目は目立つようになっていきました。

蔦文様が家紋へ。

名字の誕生と時を同じくして、すでに慣例的に重用されていた"有職文様"の中から当時の名門家系を中心に、自らの思い入れの深いものを"認識票"として紋章化し、自らの家系を示す文化が誕生したことが、家紋の始まりとなります。[花菱][亀甲][藤][桐]などの各家紋がそれにあたります。

丸に蔦と同じく、有職文様が元となった家紋として「花菱」「亀甲」「藤」「桐」などが挙げられる。

新たなに支配者として台頭する武士が、同じ氏族同士の反目で"相関関係"が複雑化した状況でも、合戦下では一目で敵味方が判別できるよう、無地であった旗印に文様を描くようになりました。

これがのちに家紋となったことで、その文化はさらに拡大・定着を見せます。しかし、この際も新たにデザインされたものより、文様などの始めから存在する意匠が多く用いられました。

伝統的な文様の一つと認知されていた[蔦]も、これらと同様のいきさつを経て家紋となり、現代に伝わる事となったのです。

発展していく蔦紋。

家紋が文化として定着した、室町時代の8代将軍・足利義政の治世に、当時の武家の家紋を集録した[見聞諸家紋]が編纂されます。そこには、蔦を家紋として用いる武家がすでに散見されることから、蔦は家紋としても、その黎明期からの存在が確認されていると見てよいでしょう。

戦国期に入ると、末期の足利治世下における畿内の覇権争いを、謀略と悪略の限りを尽くしてかき回したことで、歴史好きにはお馴染みの戦国武将・松永久秀や、没落した小領主の身分から、一代で伊勢・津藩ほか32万石あまりの太守となった、藤堂高虎などの名門家系の使用も確認されます。

どのようにして蔦紋の普及率が高まったのか?

身分差別が厳格に制度化された江戸時代は、武士でない者の名字の公称も禁じていましたが、家紋の使用は原則として自由であったため、家や個人の識別に家紋を利用する慣習が、当時の庶民に生まれました。

これまでは、依然として支配階級特有の文化と言えた家紋でしたが、これらの時代背景によって庶民の家紋の利用は当たり前となったため、江戸時代はさまざまな家紋文化が花開いたことで知られています。

蔦紋の高い普及率の最大の要因?

このように、家紋が爆発的に庶民の間に普及する流れに乗って、蔦紋もそのシェアを高めていくのですが、これまでのままでは、元は皇室の公的な紋章であった[桐紋]を始めとした他の十大紋と、肩を並べる存在となるのは難しかったと言わざるをえませんでした。

しかしそんな蔦紋が、決定的にその存在感を高めるきっかけとなったのは、8代将軍・徳川吉宗が、蔦を替紋として好んで用いたことでしょう。当時、権力の頂点に君臨した徳川将軍が用いた紋章である蔦紋は、その知名度と権威を大幅に高めることになったのです。

江戸幕府8代将軍である徳川吉宗は、丸に蔦を含む蔦文様を替紋として多用していた。

かねてより徳川家の定紋であった"葵の御紋"は、とくに将軍家となってのちは、他の名門家系も使用を遠慮しましたし、享保年間には正式に全面禁止とされたので、いかに権威や知名度があろうと、庶民の使用などは叶うはずもありませんでした。

しかし蔦紋には、葵の御紋のような使用制限を設ける事がなかったため、江戸の庶民はこぞって蔦紋を使用したといいます。

庶民層だけでなく特権階級にも。

また、大名・旗本の家系図集である"寛政重修諸家譜"に目を通せば、古くから徳川家(家康以前は、[安祥・松平=あんじょうまつだいら]を名乗った松平一門の事実上の惣領家)の一門衆であった松平諸氏の定紋・替紋に[蔦紋]種が多い事に気が付きます。

これら諸々の松平家は、惣領家(のちの徳川将軍家)と同じく[葵紋]を使用する家系でしたが、徳川家康による天下の一統によって、"葵の御紋"と称されるほどの強大な威光を放つようになった、惣領家のそれ(三つ葉葵)に遠慮をして蔦紋に変更したためです。

実際、三河・西尾藩6万石の大名となった[大給・松平=おぎゅうまつだいら]家が、代々[一葉葵]であった定紋を、惣領家にはばかって蔦紋に変更したというエピソードが、現代に伝えられています。

東海地方の一地域において、長らく身近な親戚筋であったはずの松平の惣領家が、たったの一代で天下の将軍家にまでなってしまった事は、他人行儀とも言える配慮を見せるのに十分な事情であったと言えるでしょう。(徳川側から"遠慮"の打診があったとの説もあります。)

このように蔦紋は、松平諸氏を含む多数の大名・旗本家に用いられた事により、さらに権威や知名度を増すことになります。

人気の高まりと時代背景がマッチングした。

以上のような経緯から、当時の庶民の間でも親しまれた蔦紋ですが、ツルが絡んで茂るさまが"馴染み客に絡まって離さない"事を連想させるとして、商人にも人気の紋で、商店の日除けのれんなど、屋号としても盛んに使用されました。

また同様の理由から、芸妓や花魁を始めとした花柳界にも流行したと言います。さらに、他の樹木・建物・岩などを基盤に付着して生育する習性から、頼り付き従う事を由来に、"おんな紋"として用いられるなど女性人気の高い紋でもありました。

このように、蔦紋が十大紋の一つに数えられるほどの普及を遂げたのは、日本人の大半が属する一般庶民層へと家紋が爆発的に普及した、江戸時代に流行した人気紋であったというのが大きな要因だったと言えます。

家紋文化が隆盛を極めた時代に人気を集めた家紋であったため、他の多くの紋種の中でもバリエーションは豊富で、その種類は500を超えるとも言われています。そんな蔦紋の中で、最もポピュラーなデザインが"五葉の蔦"で、[丸に蔦]紋もその一種である事から、現代でも使用家系の非常に多い家紋の一つに数えられています。

※丸なしの普通の家紋「蔦」はこちらのリンクから。

丸に蔦の"丸"について。

今回取り上げた[丸に蔦]紋ですが、これは見たままの通り、"蔦紋種"の基本形ともいえる[蔦]紋を、単に丸で囲ってあるだけの図案です。では、この"元となる家紋を丸で囲う"という行為には、一体どのような意味があるのでしょうか?

何らかの変形を加える必要があった?

家紋を丸で囲うことに限らず、元の家紋に何らかの変形を施す行為は、家紋の歴史上何度も行われましたが、それは[本家]に対する[分家]や[主人]に対する[家来]などに、家紋の相続や下賜が行われた場合、元の使用者をはばかったり、また混同が起こらないよう配慮する必要があったためです。(必ず変形が行われた訳ではありません。)

それ以外にもさらに、一般庶民層にまで家紋が普及した江戸時代においては、"葵の御紋"の全面禁止だけでなく、一部の有力大名家の代表紋を[そのまま用いてはならない]とした事も、元の家紋に変更を加えて使用する要因となりました。

"丸"は数多く作られたバリエーションの一つ。

そのため変形と言っても、"丸"や"方形"のような単純な図形ばかりではなく、人気の高い家紋を中心に、さまざまな変形のバリエーションが誕生し、複雑なものでは、"五瓜"や"車""熨斗輪""鞠挟み""雪輪""藤輪"などの[丸い家紋で元の家紋を囲う]という、"家紋同士を組み合わせた"とも言える変形も見られるようになります。

「なぜそのように変形したか」については、その由来や事情はケースバイケースと言えますが、家紋は分家や賜与などを繰り返すにつれ、元の図案から徐々に変形していく事が一般的ですから、加えられた変更が大きいほど、宗家や主筋から遠い家系とも言えます。

そんな中でも、とくに"丸で囲う"という変形は、最も多く採られたオーソドックスな変形の手段だったと言われています。分家の際に、本家から相続する家紋を丸で囲うだけで、"違い"と"関連性"を示せるという手軽さが定番となった理由のようです。

大名・旗本にも変形して相続した例あり。

実際、江戸時代の大名・旗本家にもこの例は見られ、蔦紋に限った場合でも、先に触れた藤堂高虎の家系である津藩・藤堂家から分家し、支藩として久居藩を立藩した藤堂高通は高虎の直孫に当たりますが、この高通を祖とする久居藩・藤堂家も[丸に蔦]を定紋に定め、本支を"丸"の有る無しで区別しています

また、大給松平・宗家からの連枝筋である旗本家のいくつかは、本家からの分家を示唆すると思われる[丸に蔦]を定紋に用いる家系です。

オリジナルよりも定番視されるほど。

他、家紋を調度品や衣服に描く、いわゆる"紋付き"とする場合、基本となった紋章そのままよりも、丸で囲ったものの方が、デザインとしての収まりが良いという事情も"丸に〜"の家紋が普及した要因の一つと言われています。

たとえ代々受け継いできた家紋であったとしても、そういった事に対してのこだわりが薄い人などは、このような理由で変更を加えてしまうというケースも実際にあったかもしれません。

その事はさて置いても、一般的に考えれば本家よりも分家の方が、圧倒的にその数は多くなることから、変形の元となったオリジナルの家紋より、普及率が高くなる事も珍しくありません。

それはこの[丸に蔦]紋に関しても言えるようで、基本形である[蔦]紋よりもその普及率は高いともされているようです。

以上が丸に蔦紋の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

丸に蔦のフリー画像素材について

[家紋素材の発光大王堂]は、家紋のepsフリー素材サイトです。以下のリンクからデータをダウンロードして頂けます。家紋のフリー画像を探しているけど、EPS・PDFの意味がよくわからない方は、ページ上部の画像をダウロードしてご利用下さい。背景透過で100万画素程度の画質はあります。

当サイトは家紋素材のフリーeps素材サイトです。当ページでは丸に蔦の解説のほか、イラレで作成した丸に蔦のベクター(eps)素材も無料で配布中。商用利用・画像加工も制限なし。御用の方はご自由にどうぞ。

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