丸に違い矢
家紋「丸に違い矢」は、神紋由来の矢紋の一種です。矢は戦国以前、ただの武器以上の意味を持ち、武士の象徴ともされた事から武士の間に家紋として広がりました。今回はそんな矢紋の一種、丸に違い矢の意味や由来を解説します。
丸に違い矢紋は矢紋の一種で、弓にセットして、その弾力を利用して発射する武器である矢を、モチーフにして図案化した家紋です。
日本ではすでに縄文時代には、使用されていた事がわかっている通り、その歴史は極めて古いものと言えそうです。
そのため、古くから矢にまつわる文化は日本に深く浸透し、古事記にもその名が登場したり、古文や句を読む際などでも使われてきたようです。
その際の間接的な比喩として、穢れ・邪気・魔・厄などを、祓い清める事を表現する言葉でもあるように、日本では矢は古来より、神器としても扱われた歴史があり、「破魔矢」や「葦矢」などの神事に関連する行事も生まれています。
現在でも矢を使った神事は多く見られ、そのような経緯もあって、矢紋を神紋として用いた寺社も多いようです。
例に挙げると、伊賀国阿拝郡服部郷がその出自とされる、服部氏族の代表家紋とされ、徳川家臣の服部半蔵正成も源氏輪に並び矢筈紋を使用していましたが、服部氏は、現在の伊賀市にある小宮神社の神官家の家柄と言われています。
その小宮神社の神紋が丸に並び矢紋という、矢紋の一種であるため、服部氏族の家紋は、矢紋を用いるようになったとする説もあります。
このように矢紋は、神紋としての利用が一般的だったようで、先の服部氏のような形で、家紋として取り入れられる流れとなったほか、やがて武を重んじる武士階級にも使用が広がっていったとされています。
弓道というのは、源平合戦の頃の騎馬兵(雑兵ではなく武将クラス)の主戦武器は戦国時代の槍・刀などではなく、弓矢であった事からも、種子島が普及する以前は、武士にとって欠かせない第一の技能とされていました。
後の世で言う「槍働き」ならぬ「弓働き」といったところでしょうか。
今川義元や徳川家康を指して言う「海道一の弓取り」の「弓取り」とは、源平の時代から武将の事を指す言葉であり、弓矢の技能=武将としての格と言っていい程、かつての武家にとって弓矢は大きな比重を占めていた事が伺えます。
このように、武士階級で矢紋が家紋として用いられた由来は、武を重んじる精神の意味合いが強く、また、武士達にとって、弓矢が武勇の象徴とされたとしても何ら不思議ではありません。
本項の丸に違い矢紋は、元は違い矢紋の、本家別れの際などの派生で円形の囲いがついたものだと思われますが、どちらにしても、矢全体の図案ではなくて、矢羽の部分のみを図案化した意匠となっています。
矢羽の部分は、鷹、白鳥、鶏、鴨などの鳥類の羽根が利用されたといいますが、特に猛禽類の鷹の羽根などは、高級品として、武家の間では贈答にも利用されました。
違い矢紋に用いられたモチーフの矢も、矢羽に鷹の羽を利用したものだそうで、見た目は勿論、尚武的な意味合いとしても、鷹の羽紋に通じるところがあると言えそうです。
以上が丸に違い矢紋の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。
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