蔦
かつて徳川8代将軍・吉宗公が替紋とした事から、急激にその権威や存在感を高めることになった家紋・蔦。
今回の記事では、家紋・蔦の意味や由来はもちろん、使用の多い苗字や地域・家系、戦国武将などの著名な使用例などについてご紹介しています。
ツタはどのようにして家紋となっていったか?
この家紋は、植物の『ツタ』を図案化した植物紋の一種です。ツタは、季節変化の詳細な分類表現で知られる "七十二候" にも、『楓蔦黄=楓や蔦が色づく季節』(11/2〜11/6頃)として登場しているように、モミジと並んで代表的な紅葉植物として、古代から人々に認識されてきました。
古代の人々にとっての "ツタ" とは、どんな存在?
当時は、人々と自然との関わりが非常に密接だったこともあって、花見や紅葉の鑑賞は、今以上に重大なエンターテインメントコンテンツの一つであり、これは公私ともに優雅なライフスタイルを構築していた皇族・貴族層に、とくに顕著な習慣といえました。
そんな彼らにとっては、このツタの紅葉も風情を感じる対象だったらしく、それは、奈良の昔から伝わる数々の和歌集や歌物語集において、作品の題材にたびたび取り上げられていることからも明らかです。
家紋・ツタは、家紋となる以前の段階で、すでに平安貴族の衣服や調度を華やかに彩る『文様』としてビジュアライズされていましたが、それは以上のような要因で、ツタが貴族に身近な存在であったためです。
ツタ文様と同様に、貴族のライフスタイルとの親和性の高さから、貴族文化特有の文様である『有職文様』の題材とされ、そこから家紋へと派生した種には、「桐」「藤」「木瓜」「菱」「目結い」「七宝」などの伝統家紋が知られています。
当初、蔦は家紋として目立つ存在ではなかった?
ただ、このツタ文様は "特定の時や場所" または、皇族や上級貴族などの "特定の家系" に用いられる定番文様という扱いではなかったこともあってか、家紋文化が成立して以降も、著名な公家に「蔦」を家紋として用いたケースは見当たらないようです。
また同様に、当初は武家においても、目立った使用家系は知られておらず、室町時代の応仁年間(1467-1469)頃に成立した『※見聞諸家紋』に、ようやく椎名氏など数家の使用が記されるに及びました。
※『見聞諸家紋』…室町時代中期頃に成立した日本最古の家紋集録書。応仁の乱において、東軍に属した諸家の旗・陣幕などを見聞し、そこに幕府の評定衆・奉公衆などを加えたものとされる。
椎名氏とは、桓武平氏の支流で「下総国千葉荘」を本拠とした千葉氏の流れを汲む一族です。越中国新川郡の分郡守護代から、越中の戦国大名となった家系ですが、主筋である千葉氏とは異なる家紋である「蔦」を使用するようになった由来やタイミングは、ともに伝わっていないようです。
徐々に存在感を高めていく家紋・蔦
戦国時代に突入すると、戦国武将として自らの才覚をたよりに支配階級へとのし上がり、後世に名を残すまでになった者の中に、家紋・蔦をシンボルとして掲げる家系も現れます。
有名戦国武将による使用
代表的な例をいくつか挙げると、数村支配の土豪身分に没落した家系の生まれながら、一代で伊勢・津藩ほか32万石の太守に上り詰めた上、徳川将軍の厚い信任から、(藩政の安定しなかった)会津・熊本・高松各藩の後見も求められるなど、都合160万石の統治を担った『藤堂高虎』の使用が知られます。
また一時期、畿内で実権を掌握していた三好一党のもとで頭角を現すと、謀略と悪略の限りを尽くして畿内の情勢に大きな影響を及ぼし続けるなど、戦国期を代表する梟雄として知られた『松永久秀』の松永氏も、家紋・蔦の代表的な使用家系です。
ただ、この両家系とも、その発祥はもちろん、当代以前の詳しい動向もよく伝わっていないため、家紋・蔦を使用した経緯や、その時期は不明であるようです。
江戸時代には、将軍家の親戚筋へも使用が広がる
江戸時代には、徳川将軍家の一門衆であった松平諸氏による家紋・蔦の使用が見立つようになります。
ここで言う "※松平" とは、家康を輩出し、徳川将軍家の母体となった『安祥・松平』家を含めた、「室町時代より三河国 賀茂郡 松平郷を本拠に派生した一族」である『松平氏』("十八松平" と称されるほど、周辺に同姓の一族が多いことで有名)を指します。
※松平…上記にある三河以来の一門衆を除くと、●家康の直系子孫のうち、御三家・御三卿の当主ではない家系 ●伊達家や前田家など、外様の大大名に徳川将軍家から下賜されたもの が、松平の名乗りを用いていた。
これら三河以来の親戚筋である松平諸家は、事実上の惣領家である安祥松平家(徳川将軍家)と同じく『葵紋』を使用する家系だったと伝わります。
それら諸家の系統のいくつかが、葵から蔦を家紋に用いるようになったのは、惣領家の『三つ葉葵』紋が、徳川家康による天下の一統によって "葵の御紋" と称されるほどの強大な威光を放つようになった事と無関係ではないでしょう。
実際、三河・西尾藩6万石を領した "十八松平" の出世頭ともいえる『大給・松平=おぎゅうまつだいら』家が、代々「一葉葵」であった定紋を、惣領家にはばかって蔦紋に変更したというエピソードが、現代に伝えられています。
惣領家とはいえ、東海の一地方における身近な親戚筋に過ぎなかった安祥・松平家が、たったの一代で、天下の将軍家にまで上り詰めてしまった事実は、他人行儀と言って良い配慮を見せるのに、十分な事情といえるのではないでしょうか。(将軍家側から "遠慮" の打診があったとの説もあります。)
このように、武家を中心にその使用が広がり始めた家紋・蔦ですが、現代において "十大家紋" に挙げられるほど、広く普及した要因はこれとは別にあるようです。
なぜ家紋・蔦が、広範な普及を遂げることが出来たか
江戸時代に入ると、武士を始めとした特権階級以外での苗字の公称が禁じられたこともあって、一般庶民の間では家や個人の識別に、家紋を利用するという風潮が広がったといいます。苗字と違い、庶民による家紋の使用は(一部種類を除き)禁止されなかったためです。
このため家紋は、武家を始めとした『一握り』の支配階層だけでなく、社会の圧倒的『多数派』である一般階層へも急速に使用が広がっていく状況となりました。
このような風潮にあって、庶民から(何らかの要素・決め手を有したことで)人気を集めた家紋が、のちに十大家紋のような広い普及を獲得することになっていくのですが、この家紋・蔦が、庶民から人気を集めた要素とは一体何だったのでしょうか。順にご紹介しましょう。
一番の要因は天下の徳川将軍の威光
かつては皇室専用の紋章であり、のちに足利尊氏や豊臣秀吉、そして現在の日本国政府といった "国政執行" の象徴となった『桐』、日本史上屈指の名門・藤原氏の後裔である事を示すための紋章だった『藤』。
また、武士勃興期からの長きに渡って、当該の名門家系を象徴する紋章として知られた、甲斐源氏・武田氏の『菱』、美濃源氏・土岐氏の『桔梗』、豊後・大友氏の『杏葉』、肥後・菊池氏の『鷹の羽』。
このような有名家紋とは違い、格別の知名度や権威を持たない地味な存在といえた家紋・蔦が、江戸時代の庶民から高い支持を集めた要因としてまず挙げられるのが、江戸幕府8代『将軍・徳川吉宗』が、蔦を替紋として好んで用いたことでしょう。
かねてより、徳川将軍家の定紋として知られる "葵の御紋" は、幕府のお触れにより、将軍家・御三家・御三卿ならびに特別な許可を持つ者以外の使用は、全面的に禁止となっていたことから、庶民の使用など叶うはずもありませんでした。
それでも当時は、この "ありがたい紋章" にあやかりたい一心から、「葵の御紋」と図案のよく似た『河骨』紋や『片喰』紋を用いて、その "代用" とする者まで現れたといい、この事からも、"徳川将軍家が使用した" という事実は、それだけで高い権威性が付加される要素だったことが分かります。
家紋・蔦も徳川将軍家に用いられたことによって、その知名度や人気は空前の上昇を見せることになるのですが、この紋章に関しては、「葵の御紋」のような使用制限が設けられることもなかったため、江戸の庶民にこぞって使用されるようになったといいます。
時代背景と人々の注目がリンクした
また、家紋・蔦のツルが絡んで茂るさまが、"馴染み客に絡まって離さない" 事を連想させるとして、商人にも人気の紋で、屋号などに盛んに使用されたといい、同様の理由から、芸妓や花魁を始めとした花柳界にも流行したといいます。
さらに、他の樹木・建物・岩などを基盤に付着して生育する習性から、頼り付き従う事を由来に、西日本で盛んな風習であった "おんな紋" として用いられるなど、女性人気の高い紋でもありました。
このように、当初は強い存在感を持ち得なかった家紋・蔦が、大きな普及を遂げる事ができたのは、一部の特権階級に特有の文化であった家紋が、日本全体へと急速に普及していくという絶好のタイミングで、上記のような「大きな注目を集める要素」とマッチングしたことが大きいといえます。
特定の使用や地域については?
ただ、このような歴史をたどってきた蔦の家紋ですから、特定の苗字や家系、また特定の地域に偏りの多い、特徴のある家紋とは言えそうもありません。
そのため、「使用家紋が蔦」という情報だけでは、ご先祖や家系のルーツを辿ることはむずかしいと言わざるを得ないでしょう。
以上が家紋・蔦の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。
蔦の家紋素材の種類一覧
家紋・蔦のフリー画像素材について
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