丸に左三階松

丸に左三階松

丸に左三階松紋は松紋の一種で、その名の通り、あの松の木をモチーフとした植物紋です。松はマツ科の針葉樹であり、常緑で冬に雪や霜にさらされてもその緑の葉を保つ事から、古来より不老長寿の象徴として、尊ばれてきました。

さらにこの松の木には神霊が降り宿ると、こちらも古くより言い伝えられていて、正月に門松として用いられるのはそういった謂れ(神霊が降り宿るのを待つという意味合いで)があるためだそうです。

これらの背景から、春を「待つ」・神霊を「待つ」・また、古代中国の松にまつわるエピソードから、好機に目的を達する為、時が来るのを「待つ」など、松の木は「待つ」という精神性の象徴ともなります。

それと、不老長寿の象徴ともされる縁起の良さと相まって、人々の「自分もかくありたい」との思いから、家紋などの図案にこの松を用いる流れが出来たのではないかと考えられます。

基本的にこの松紋は、全国的に広がりを見せ、特定の氏族に限定して使用されていた訳ではないのですが、代表的な例を挙げると、讃岐の国の藤原氏の流れを汲む、讃岐藤氏とその後裔に使用されたというものがあります。

平安時代の後期に讃岐守として讃岐の国に下向した藤原家成と地元・綾郡の大領家(大領は郡司と捉えて下さい。)綾貞宣の娘との間に、後の藤太夫章隆が生まれますが、この章隆が、讃岐藤家の初代となります。

この藤家は、讃岐の国で一番の有力武士団として繁栄し、羽床氏、香西氏、大野氏、植松氏、柞田氏、三野氏、阿野氏、詫間氏、豊田氏(元は全部地名ですね。)などを始めとした分家(讃岐藤家六十三家といいます。)が讃岐の国に広がっていきました。

讃岐の国は元々、松の木が多い土地柄でしたが、それらの諸氏が、分家をしたそれぞれの土地に生えた松を紋とする風習が出来たため、それ以降も讃岐の国では有力氏族を中心に松紋が次第に広がっていったと言います。

その為、現代においても四国の香川県では松紋が使用されている割合が全国的に比べ、非常に高いとされています。

ちなみに、数ある松紋の中でも、藤氏が採用したのは三本松紋であったそうですが、時代が下って松紋が広がりを見せるごとに、様々な種類が作られていくのですが、その中でも、この項で取り上げたこの丸に左三階松紋は、使用頻度の高い家紋のようです。

「この画像のデータがほしいよ」という方は、下にあるダウンロードリンクから本家紋のベクターデータをフリーでダウンロードしていただけますが、EPS・PDFの意味がよくわからない方は、ページ上部の画像を(これでも900万画素の高画質画像です。)ご自由にダウンロードしてお持ちいただいて構いません。

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