【丸に下がり藤】の意味や由来は?家柄やルーツ・苗字・「丸に」の意味などの解説|家紋epsフリー素材の発光大王堂

丸に下がり藤

家紋・丸に下り藤の素材。高精細フリー画像

【丸に下がり藤】紋は、日本史上最も栄えたとされる名門氏族・藤原氏にルーツを持つ、深い伝統を誇る由緒正しい家紋です。その意味や由来はもちろん、使用家系の苗字、丸に囲われた意味、家柄やルーツを辿れるかなど、多岐にわたって詳細に解説してみました。

家紋「丸に下がり藤」は、マメ科フジ属に分類される「フジ」の木をモチーフに作られた、「藤」紋の一種です。フジは長く枝垂れる薄紫色の美しい花をつける事で知られ、観賞用途で人気の植物です。

満開の夜フジの花。この長く枝垂れた花序が「丸に下がり藤」のモチーフとなった。

藤紋種は、現代において「十大家紋」に挙げられるほど広く普及した家紋で、最も多く使用される「基本」ともいうべき種は、その枝垂れた花の部分を特に強調してデザインされた「下がり藤」です。

普及率の高い定番家紋10種は「十大家紋」に分類されるが、丸に下がり藤もこれに含まれる。

その「下がり藤」を丸で囲うという変形を加えた家紋が、今回取り上げる「丸に下がり藤」なのですが、この「丸で囲う」という変形には、一体どういった意図があったのでしょうか?

また藤の家紋が人気となった理由や、そもそもフジをモチーフとした意味、家紋となった由来、使用家系や家柄など、丸に下がり藤に関わるアレコレについて、順に解説してみたいと思います。

↓家紋・下がり藤の詳細な解説はこちらから↓

フジの木は古くから日本人に馴染みの深い植物だった。

そもそもフジは、建築・工芸資材や、観賞用途などの文化面で、古来より日本人に馴染みの深い植物でした。それは「古事記」や「万葉集」といった、奈良・古墳時代とそれ以前の様子を窺い知れる歴史書・和歌集や、「枕草子」「源氏物語」といった文学作品にも登場している事からも明らかです。

今よりずっと自然が身近であった、かつての日本において、フジは実用性と芸術性の両面で、知らぬ者はいない存在だったといえるでしょう。

そのため皇族・貴族に持て囃され、由緒正しい有職文様のモチーフとなった。

当時の人々の生活に深く関わり、見た目にも鮮やかなフジは、華やかな公家文化を視覚面で演出した、綺羅びやかな文様群の一つとして、服飾・調度・建築の分野に取り入れられます。

元は大陸から伝わったこれら文様群は、やがて日本特有の文化に変化していきました。これら貴族が持て囃し、愛用した伝統的な和文様を「有職文様=ゆうそくもんよう」といいます。

平安中期以降、国風文化の影響が強くなってからは、特に身近な自然が題材として取り上げられる事が多くなりましたが、フジが有職文様として貴族に愛好されたのも、社会階層に関係なく人々の身近な存在であった事が、その要因の一つとして考えられます。

また当時、朝廷において長く繁栄した藤原氏にあやかる意味もあって、「藤」つながりであるフジが、有職文様として重きをなしたとされています。「藤巴」「藤丸」「藤立涌」などが代表的なフジの有職文様として挙げられます。

藤文様の代表的なデザイン。丸に下がり藤もここから派生した。

この有職文様と呼ばれる伝統文様が、やがて家紋となっていく。

年代を経る毎に、貴族の生活は公私共に形式化・様式化が進んでいきますが、それは有職文様も例外ではなく、時や場所、人物・家系によって使用される文様が固定化していくようになりました。

特に衣装や牛車などに家系特有の文様が固定化されるようになると、個人や家系の区別の役割を果たすようになっていきます。久我家の衣装に「竜胆」文様が用いられていた事や、西園寺家の牛車の車紋が「」文様であった事が代表的な例で、これらがやがて出自や家系を示す「家紋」となっていきました。

西園寺家の車紋「巴」。個人や家系を識別する文様が家紋へと変化していった。

このように、数ある家紋の中には、有職文様から発展したというケースも多く見られます。本記事の丸に下がり藤も家紋としていきなり誕生したものではなく、こうした有職文様が元となった紋章のうちの一つなのです。

華やかな公家文化を形作る上で、欠かす事のできない重大な要素であった有職文様の一角を占めた意匠から発展したワケですから、丸に下がり藤は、伝統的で由緒正しい紋章である事がわかります。

藤の家紋と縁の深いとされる藤原氏。ところで藤原氏とは何?

丸に下がり藤が、家紋として最初に登場した事例は、特に知られていませんが、丸に下がり藤を含む藤紋種は、日本史でお馴染みの「藤原氏」との関わりが深い家紋とされています。それでは、ここで少し藤原氏とは何かについておさらいしておきましょう。

近代まで続く国家の根幹を整えた立役者。

藤原氏とは、「律令制」と呼ばれる、天皇を中心とした国家統治の基本システムの構築に貢献し、平安時代以降には、朝廷の上級官職・位階を独占し続けた、日本史上屈指の名門氏族です。

その繁栄ぶりは、他に例を見ないもので、400年間ほぼ途切れる事なく権力の中枢に君臨しました。その結果、朝廷の中級・上級貴族の実に7割あまりが藤原氏族で占められてしまったのです。この圧倒的な層の厚さを見れば、藤原氏が日本史上屈指の名門と称されるのも、うなずけます。

屈指の名門といえど現実は厳しい。

これだけ朝廷組織を占有したのですから、そこから枝分かれする支流・傍流家系は膨大な数にのぼります。ここで問題となるのは、中央のポストには数に限りがあるという事です。

しかも先に触れたように、形式化が進んでいく公家社会では、昇進できるポストが出身家系によって固定化されていました。つまり、藤原氏族と言えど、支流・傍流といった家柄の家系に生まれた者は、中央での出世は絶望的だったという訳です。

「武士系藤原氏」の誕生。

そのような下級の貴族のうち、いずれかの受領(現地赴任「国司」の筆頭官)となった事を機に任期後も地方にとどまり、現地で権力を蓄える者が現れました。そのような者達のうちから、のちの地方領主=武士が誕生していったのです。

武士といえば、源氏や平氏のイメージが強いですが、実は大量の支流家系を抱える藤原氏も「藤原利仁」流や「藤原秀郷」流などを中心に、多数の武士を全国津々浦々に輩出し続けたのです。

武士系藤原氏は家紋に藤を用いた。

これら全国各地に大量に生み出された傍流家系の藤原氏は、朝廷の藤原氏本流とは、祖先を同じくしながら全く毛色の異なる存在となりました。地方に大小の直接支配地を確立した彼ら「武士系藤原氏」は、他の武士勢力と同じく「氏」とは別の「名字」を名乗ります。

しかし、他勢力が「足利荘の足利氏」「武田郷の武田氏」など、支配地を直接名字としたのとは対照的に、地名などの要素に「藤」の字を絡めた「佐藤」「加藤」「伊藤」などを主に名乗ったのは特徴的と言えます。

名門意識?は家紋にも表れる。

また鎌倉期以降は、武士の世界でも「家紋」を据える文化が根付きますが、武士系藤原氏が主に家紋として用いたのは、「藤」文様が紋章化された「下がり藤」などの藤紋種であったといいます。

彼らが名字や家紋にことさら「藤」を用いたのは、自分たちが「元を辿れば藤原氏」である事を示すためだと考えられます。

武士である以上に「下級」貴族である黎明期の武士にとって、藤原氏本流は憧れの存在でありました。当時、そんな彼らと同族である事は一種のステータスであったし、何より彼らが、その事自体に誇りを持っていた証といえるのではないでしょうか。

ただし公家系藤原氏は、家紋に藤を用いたのは少数派だった。

そんな「武士系」藤原氏とは対照的に「公家系」藤原氏においては、家紋に藤を据えた家系はごく少数にとどまり、名字に藤を用いたケースにいたっては、皆無という状況でした。

貴族の頂点である五摂家のうち、「九条」「一条」「二条」の3家こそ、のちに藤の家紋を用いるようになりましたが、それを含めても、上級貴族に属する藤原氏族95家のうち、藤紋種の使用は、わずか8家に過ぎなかったのです。

一概に「藤原氏にルーツを持つ家紋」と言っても良いものか?

そもそも藤原の名の由来は、地名に関するもので、植物のフジとは直接の関連があるわけではありません。

藤が有職文様として重んじられたのは、藤原氏の権勢にあやかるという意味合いからであって、藤原氏の中核からの視点で見れば、藤は特に思い入れのある存在というわけではなかったわけです。

さらに家系の固定化された公家社会においては、お互いの家系の成り立ちなどは周知の事柄であるため、家紋や名字を用いてアピールする必然性に欠けたという側面も考えられます。

このようにして見ると、「丸に下がり藤」を含む藤の家紋とは、自らのルーツが「かつて繁栄を極めた藤原氏の後裔」である事を示すための紋であったと言えるのです。

藤の家紋が「十大紋の」一つに数えられるほど普及した要因とは?

ところで、藤原氏の後裔である事を示すための紋章といえる藤紋種が、十大家紋の一つに数えられるほど普及した要因とは何だったのでしょうか。

ここでも藤原氏の、群を抜く繁栄がその要因に挙げられる。

それは、その多くの家系が、藤を家紋に据えたとされる藤原氏が、他の氏族とは比較にならない程、日本各地に土着した存在だったからでしょう。一つの系統が一時的な成功を収めた例は多くありますが、藤原氏ほど古く、大きな繁栄が持続した氏族はありません。

そうした事が、全国各地に大量の大小有力者を輩出し続ける結果となり、その層の厚さが故に、地方の領主やその被官といった上位階層の占有にとどまらず、中間指導者や一般階層といった幅広い社会階層へと広がっていく要因となったのです。

それは、藤原氏の後裔がそのルーツである、佐藤・伊藤・加藤・斎藤・後藤などを名字に持つ家系が、多数存在する事からも明らかではないでしょうか。

家紋普及の背景とその一般論。

しかし、これは他の十大家紋に見られるような、高い占有率を得るための(一般的な)要因とは一線を画します。

かつて家紋は上流階級特有の文化でしたが、江戸時代には庶民による名字の公称が禁止された影響で、新たに家紋が家の区別に用いられるようになったため、日本全体に家紋需要が急激に高まる事になりました。

大半の庶民は新たに家紋を選ぶことになるのですが、その判断基準の主だったものは、「過去に天皇や将軍などの為政者が使用した事で、高い権威や格式を誇った紋章」や「領主や寺社など、身近な名家の使用している紋章」にあやかるというものでした。

この条件に概ね当てはまり、庶民がこぞって家紋に選んだのが、十大家紋である「」「」「鷹の羽」「片喰」「茗荷」といった紋章だったと言われています。

人気の家紋という訳ではないが、根強い地盤があった。

しかし「藤」は、どちらの条件にもピタリと当てはまるわけではありません。藤紋種は藤原氏傍流のシンボルですし、江戸期から見ても藤原氏の栄光は遠い過去の話です。また藤は「武を重んじる」家紋ではないため、(のちに多くの庶民があやかることになる)武士に流行した家紋でもありませんでした。(ただ、そもそも藤原氏は中小の武士階級を多く抱える氏族である事は無視できません。)

このように藤紋種は、需要の増大に乗り遅れた家紋ともいえるのですが、そもそも藤原氏の裾野が広かった事がその普及の大きな助けになったという意味では特徴的な家紋といえるでしょう。

「丸に」の意味や由来とは?

本記事の「丸に下がり藤」は、見た通り「下がり藤」の家紋を丸で囲ってあるだけのものです。しかしこれは、表現の状況に合わせて外側の丸い囲みが有ったり無かったりするといった曖昧なものではありません。

実際には、丸い囲みの有無によって、別個の家紋として明確に分類されます。したがって、家紋「丸に下がり藤」とは、「下がり藤」とは別種の独立した家紋として扱われるのです。

それでは、この"元となる家紋を丸で囲う"という措置には、一体どういった意味があるのでしょうか?

オリジナルの家紋は尊重しなければならないという風潮が存在した。

かつては、「本家」に対する「分家」や「主人」に対する「家来」などに、家紋の相続や贈与を行うというケースが、頻繁に発生していました。

その際、主筋に対する遠慮や混同を避ける配慮など、そのままでの使用が憚られるという場合に、オリジナルの家紋に対して何らかの要素を加減する事によって、変形を加えるという行為は、長い家紋の歴史の中ではよく行われてきた事でした。

さらに、時代が下って一般庶民にまで家紋が行き渡るようになると、江戸幕府により(「葵の御紋」の全面禁止はもちろん)希少性の高い家紋を使用する有力大名家の代表紋を「そのまま用いてはならない」とした「お達し」が下った事も、家紋に変更が加えられた要因の一つと言えるでしょう。

家紋の種類の多様さはオリジナルの価値を守る手段から生じた。

そのような背景から、特に人気の高い家紋においては、「丸形」や「方形」を加えるといった単純な変形ばかりではなく、さまざまなバリエーションが誕生しました。複雑なものでは、「五瓜」「」「熨斗輪」「」「藤輪」など、"家紋同士の組み合わせ"とも言える変形も見られるようになります。

「なぜそのように変形したか」についての経緯や事情についてはまちまちでしょうが、家紋の変形は相続や贈与を繰り返すたびに、オリジナルの図案から少しづつ変形していく事が一般的ですから、加えられた変更が大きいほど、宗家や主筋から遠い家系とも言えるでしょう。

「丸に〜」を加える事は、手軽に「違い」と「関連性」を生み出せる手段だった。

そんな中でも、丸に下がり藤に代表される図案の外側に「丸い囲いを付け加える」という変形は、最も簡単でよく取られた方法とされています。分家の際に、本家から相続する家紋を丸で囲うだけで、「違い」と「関連性」を同時に示せる手軽さが定番となった理由のようです。

また、家紋を調度品や衣服に描く、いわゆる"紋付き"とする場合、オリジナルの紋章そのままよりも、円で囲ったもののほうが、デザインとしての収まりが良いという事情も「丸に〜」の家紋が普及した要因の一つと言われています。

完全に業者側の都合ですが、たとえ代々受け継いできた家紋であったとしても、そういう事に対してのこだわりが薄い方などは、このような理由で変更を加えてしまうというケースも実際にあったようです。

丸に下がり藤も広く使用される定番家紋といえる。

このように「元となる家紋を丸で囲う」意味とは、オリジナルの家紋に変形を加え、元の家系との区別をするための手段でした。そしてそれはあまりに手軽に行える手段であったため、多くがこぞって取り入れた手法でもありました。

そのため、現在ではこの丸に下がり藤も、オリジナルに劣らない高い普及率を誇る人気家紋となったのです。

丸に下がり藤の詳細について

丸に下がり藤は、高い普及率を誇る藤紋種のうち、基本形とされる下がり藤の最もポピュラーな変形型とされます。そのため数ある家紋の中でもかなり頻繁に目にする部類の家紋といえます。

ここまで、そんな丸に下がり藤の意味や由来、成り立ちを見てきましたが、最後にその詳細を掘り下げて、解説を終わりたいと思います。

家系のルーツは?

通常、丸に下がり藤に代表される、(家紋文化の盛んな時期に)広く庶民に用いられた希少性の薄い家紋は、出自に関係なく人気や好みで選ばれるケースがほとんどであるため、現在では使用家紋だけで家系のルーツを調査するのは難しいと言わざるをえません。

ただし、これまでの解説にあったように、元は出身氏族を示すための紋章であるため、他の十大家紋とは事情が異なると言えるでしょう。具体的に言えば、この家紋の使用家系うち、少なくない一定数は、本当に藤原氏と何らかの関連のあった家系であったという事です。

使用の多い苗字は?使用家系の家柄は?

使用の多い苗字は、やはり「佐藤」さんや「伊藤」さん「加藤」さんなど、名前に「藤」の字が入る、藤原氏の後裔である事がそのルーツであるとされる苗字に多いようです。

また、この家紋の成立から現在までの経緯を考えると、元々の家柄の良し悪しを確定させることは難しいでしょう。

以上が家紋・丸に下がり藤の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

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