丸に下がり藤

家紋・丸に下り藤の素材。高精細フリー画像

かつてこの日本で長きに渡り、最も栄えたと言っても過言ではない名門氏族である藤原氏にルーツを持つ藤紋の一種である丸に下がり藤紋。その由来や意味をご紹介。家紋を辿ることで家系やルーツの手がかりも得られる事も。同時に丸に下がり藤紋の高精細画像も公開中。

丸に下がり藤紋は藤紋の一種で、マメ科フジ属のつる性落葉木であるフジの、特に花房と葉の様をモチーフとして図案化した植物紋です。花弁が薄紫で、花軸は無限花序に分類される為、花房の部分が数十センチにも及ぶ長さで房状にしだれるのが特徴です。

そしてそれが、いくつも連なって集合する様は、非常にダイナミック且つ優雅である為、古来よりたくさんの人々に愛されてきました。

また、鑑賞だけでなく、種子や根などが食用や薬用に用いられたり、つるの部分は家具などに用いられるなど、割と身近な存在であった為、早い段階で文様などには用いられていたようです。

この丸に下がり藤を含む藤紋のルーツは、日本史上の中でも屈指の名門とされる、藤原氏がルーツとなっていることでも有名です。「藤原」は、大化の改新で功績のあった中臣鎌足に、その死に際して贈られた氏です。時の天皇家が、その偉大な功績を称えるために選んだ氏が「藤」の「原」なのですから、「藤」はかつての日本人にとって、それ程特別な植物であったということです。

その藤原氏ですが、現在の苗字としての「藤原さん」とは、別物と考えたほうが良さそうです。これは、日本で由緒ある氏である「源平藤橘」を含む全ての氏も含みますが、時代が下って苗字が本格的に成立し始めると、氏で出自を説明する機会は失われていきます。歴史の教科書などでも、一部の例外を除き、氏ではなく苗字で表記されていると思います。

日常から氏という概念が、だんだんと薄れていった要因はおもに2つあります。それは代を重ねることで、家系として元々の総本家から遠く離れてしまっている場合に、自分の住処や所領の地名をそのまま苗字として名乗りはじめたことと、そもそもその総本家自体が没落してしまったことです。

一つ例を挙げるとすれば、清和源氏が分かりやすいでしょうか。鎌倉幕府を成立させたのは源頼朝ですが、彼が源と呼称されているのは、彼の家系が、清和源氏のほとんど本流であるためです。彼にはそもそも苗字がないのですから、氏以外に名乗るものはありません。

この清和源氏の本流ですが、鎌倉幕府3代将軍・源実朝で途絶えてしまいます。これによって、清和源氏に由来する源氏を名乗る歴史上の人物は登場しません。室町幕府創設者の足利尊氏も清和源氏の一族ですが、彼は一般的に「源尊氏」とは呼ばれません。(公的には「源尊氏」ですが。)足利家は、本流から枝分かれした際に、下野国足利荘を領したため、苗字に足利を名乗り始めたからです。

武田信玄も清和源氏の一族で、甲斐源氏の宗家という名門家系ですが、あくまで「武田」です。清和源氏系でいえば、常陸源氏の佐竹氏、美濃源氏の土岐氏なども同様です。

例外があるとすれば、豊臣秀吉でしょうか。この「豊臣」とは氏です。苗字ではありません。関白任官の際に、新たに内裏から贈られたものです。彼が豊臣秀吉と「氏」で呼ばれるのは、豊臣氏の初代であり、総本家(当たり前ですが)だからです。

この「法則」は、藤原氏にも当てはまります。藤原不比等以来、藤原道長なども含めて、常に朝廷の中枢で権勢を誇ってきた藤原氏ですが、鎌倉時代以降は人臣の頂点とされる太政大臣や摂政・関白は、基本的に「近衛家」「九条家」「鷹司家」「一条家」「二条家」の5摂家の持ち回りとなってしまいます。

ところがこの5摂家は全て氏が「藤原」なのです。藤原本流から枝分かれして成立したわけですね。これはざっくり言ってしまえば、藤原総本家は没落してしまったということを意味します。

この5家は、もとが藤原氏なのですから、当然、家紋には藤紋を用いていると考えてしまいがちですが、そうではありません。5摂家のうち、3家は確かに藤紋を使用していますが、近衛家とその傍流である鷹司家は牡丹紋を使用しているのです。

藤原氏がルーツになっていると言われる藤紋ですが、藤原氏族の頂点である五摂家のうちの2家で、さらには5摂家の筆頭で、藤原氏族全体の氏長者とも言われる近衛家が藤紋を用いていないのは少し釈然としない部分がありますね。

近衛家と鷹司家が、藤紋を用いていない理由に関しては、牡丹紋の話になってきてしまうので、それは別の場所で、機会があれば触れることにします。

飛鳥の時代より、朝廷の中心で絶大な権力、または権威を握り続けた藤原氏は、奈良→平安→鎌倉→室町→安土・桃山→江戸→と、時代が下るにつれ、その傍流が地方へと流れて行きます。中央での地位の椅子は藤原氏本流で埋まってしまっているからです。

しかし、傍流とはいえ藤原氏。何も裸一貫で地方に流れていくわけではありません。地方の長官への任官など、支配組織の上層部に属しながら、徐々に地域に根づいて行ったようです。枝が分かれるに従い藤原の氏はもちろん、苗字も出身家のものから変化させながら、各地方で着実に根を張っていきます。

家が滅びなければ、枝分かれは進んでいきます。地方に移ってもなお、時代が下るに従い更に藤原氏族は細分化してゆき、支配領土を資源に、武士化する家系も続出します。そのような末端の傍流家系では、代を経るごとに自らのルーツが見失われて行ったに違いありません。

そんな時に、そのルーツを自他共に証明する役割を担ったのが、この藤紋だったわけです。微細化していく藤原氏とともに、この藤紋も様々に形を変化させていきます。このようにして、藤紋は全国津々浦々に広がりを見せていったのです。

もちろん、自らの家系の権威を高めるため、家系図を粉飾し、藤原氏を自称するために藤紋を用いた武家もいたでしょうし、一般庶民にも家紋が普及し始めた江戸時代には、長寿で繁殖力の強い植物である事に縁起を担ぎ、さらに大変に栄えた藤原氏にあやかる意味もあり、藤原氏に何の縁もない庶民階級にも爆発的に支持されて、用いられ始めた家紋でもあります。現代でも五大紋の一つに挙げられるほどです。

ですから、藤紋だからと言って必ずしも藤原氏にたどり着くわけではありませんが、他の5大紋、10大紋に比べて、藤原氏自体の裾野が広かったため、藤紋の家系は、元は名門である可能性もある程度はあると言っていいでしょう。

ただ、下がり藤自体が、数ある藤紋の中でも基本形と言ってよいほどオーソドックスなものであるし、この丸に下がり藤紋のように「丸に」の家紋は、本家からの分家を意味しているのが一般的でもあるため、ごくありふれた家紋と言えます。

そのため、家紋がこの丸に下がり藤であるという情報だけで、家系のルーツを辿るのは難しいと言わざるを得ません。家系図などとも照らし合わせる必要はあるでしょう。

※「この画像のデータがほしいよ」という方は、下にあるダウンロードリンクから本家紋のベクターデータをフリーでダウンロードしていただけますが、EPS・PDFの意味がよくわからない方は、ページ上部の画像を(これでも100万画素の高画質画像です。)ご自由にダウンロードしてお持ちいただいて構いません。

「丸に下り藤」のベクターフリー素材のアウトライン画像

※「右クリック」→「対象をファイルに保存」を選んで下さい。

丸に下がり藤
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