下がり藤(下り藤)の意味や由来の解説。苗字や家柄・ルーツや家系などを徹底網羅|家紋epsフリー素材の発光大王堂

下がり藤

家紋・下がり藤の素材。高精細フリー画像

家紋・下がり藤は、高貴な宮廷文様にルーツを持ち、日本屈指の名門・藤原氏と縁の深い伝統と格式を誇る由緒正しい家紋です。

今回は、その意味や由来を始め、使用の多い苗字・家柄・ルーツ・使用武将など、下り藤について徹底解説しています。

下がり藤は、華やかな宮廷文様から派生した家紋

この家紋は、文字通り植物の『フジ』がモチーフとなった藤紋種の一つです。フジは古来より、その丈夫なツルが生活資材として活用され、また美しく特徴的な花序を持つことから鑑賞用途としても重宝されるなど、人々に馴染みの深い植物でした。

美しく枝垂れたその花序は鑑賞の対象となった

それに加え、その名が、古代期の日本において絶大な権勢を誇った『藤原氏』を彷彿とさせるということもあって、宮廷文様(有職文様)に取り入れられ、華やかな公家社会を彩ったと伝わります。

現代に広く普及している藤紋種の中でも、代表的な存在であるこの家紋は、藤文様の一つ『藤の丸』が元となって誕生したものとされています。

文様・藤の丸の画像

下がり藤と藤原氏との "本当の" 関係性をご紹介

家紋・藤の由来については、『藤原氏』との関連を指摘する解説がよく見られますが、具体的に藤紋と藤原氏にはどのような関連があるのでしょうか?そのあたりのことを藤原氏の簡単な概要も含めてご紹介していきましょう。

かつての藤原氏が、いかに偉大な存在であったかについて

藤原氏とは、"天皇中心の中央集権国家" のシステムづくり(律令の制定)に多大な貢献があった氏族として知られています。

その功績を足がかりに頭角を現すと、強引かつ巧みな政治力で、飛鳥時代末から平安時代後半頃までの大変な長きに渡って、権力の中枢に影響を及ぼし続けることになり、結果的に彼らは、朝廷の『上級貴族(堂上家)の "7割" 以上』を一族で占めるほどの繁栄を手にすることになります。

堂上家に占める藤原氏の割合の円グラフ

一族からは、著名な人物が幾人も輩出されていますが、藤原氏が日本史上屈指の名門と称される所以は、この桁違いの層の厚さにあると言っていいでしょう。

藤原氏族・末端の現実

一族内に、圧倒的な数の上級層を抱えるということは、それだけ多くの支流系統が派生するということです。

概ね平安時代以降、朝廷におけるポストは、出身家系の "家格" によって出世の上限が決まっていたので、藤原氏族といえど、傍流として固定化されてしまった支流系統の出身者は、家格の高くない他氏と同じく、中央での出世は原則としてノーチャンスでした。

平安貴族の家格と昇任限界の対応表

このような "下級貴族" の出身者の中には、国衙の長官(受領国司)となって地方に下り、その権限を利用して地方で私有農園(荘園)を開発すると、任期後も赴任地にとどまり、開発地の "領主" として君臨することに活路を見い出す者も現れます。(受領国司も狭き門ですが。)

これがいわゆる軍事貴族、あるいは在地武士団の誕生であり、これらの存在がのちに、鎌倉御家人・室町守護大名・戦国大名へと発展していくことになります。

当然、家格の低い藤原氏傍流も、大いにこのトレンドに乗っかったようですが、下級貴族層においても圧倒的な絶対数を誇る彼らは、全国津々浦々に大小さまざまな在地武士を "生産" し続け、中央(朝廷)のみならず、地方にまで "分厚い裾野" を形成していくことになります。

武家としても発展していく藤原氏

この『武士系』藤原氏は、その本流である『※五摂家』を中心とする『公家系』藤原氏とは、祖を同じくしながら、全く別種といえる存在となりました。

※五摂家…唯一、摂政・関白を輩出することが出来る公家の家格の最上位。藤原氏長者(本流)である "摂関家" から5家に分裂したため、五摂家は当然、全て藤原氏族で占められる。

『武士系藤原氏』の主な系統は、「藤原利仁」流と「藤原秀郷」流の二つが知られており、両系統とも藤原初代・鎌足のひ孫に当たる「藤原魚名」から本流と枝分かれしました。

武士系藤原氏へと連なる藤原氏の家系図。

利仁・秀郷の両名とも当時、武家の最高の栄誉職とされた「鎮守府将軍」に任官し、勢力を拡大。全国的に波及していく武士系藤原氏の大半はこの両名を祖とするといわれています。

これら武士系藤原氏のうち、有名なところを例に挙げれば「奥州藤原氏」や、古くからの関東の名族「佐野」「小山」「結城」の諸氏、戦国時代でもお馴染みの「堀」「前田」「加藤」「後藤」「蒲生」「龍造寺」の諸氏といったところが知られています。

下がり藤に込められた意味や由来

このような、地方に権力基盤を築いていった "武士" たちの間では、やがて『足利荘の源氏→足利氏』『葛西荘の平氏→葛西氏』といった具合に、所領の地名を『氏』に変わる『姓』として使用する流れが生まれます。

『武士系藤原氏』も、もちろんこの流れに沿う事になるのですが、他氏族が上記の例のように、支配地名を直接『苗字』に用いたのに対し、彼らは地名などの要素に "藤" の字を絡めた「佐藤」「伊藤」「加藤」などを主に名乗るといった独自性を発揮したのは、見逃せない特性といえます。

かつては藤原氏の一族であることがステイタスだった?

この "苗字" の習慣と時を同じくして、武家・公家ともに『家』をあらわすマークである『家紋』を据えるという習慣が根付き始めますが、この時、武士系藤原氏が主に家紋として用いたのは、フジ文様が紋章化された『藤紋』種であったといいます。(その中でも特に多かったのは『下がり藤』紋)

当時の武士は、例え棟梁格であっても、その "位階" は下級貴族並みですから、五摂家を始めとした上級貴族は彼らにとって、強烈なあこがれの対象でした。とはいえ、その上級貴族の大半は藤原氏族であるため、これは "藤原氏へのあこがれ" と言い換えても良いでしょう。

そういった当時の雰囲気の中で、武士系藤原氏が、このように "苗字" や "家紋" にことさら "藤" を用いたのは、自らが「元を辿れば藤原氏」である事を示すためだったと考えられています。

つまり彼らにとっては、"同族" でありながら、憧れの感情が芽生えてしまうほど、"藤原の本流系統" は遠い存在となってしまっていたことの証であると同時に、それをアピールすることがステイタスとなってしまうほど、当時の藤原氏の権勢には、尋常ならざるものがあったということなのです。

下がり藤に対する、武家と公家の温度差

このような "武士系" の状況とは対照的に、"公家系" において苗字に『藤』が用いられた例は皆無であり、家紋においても、堂上家に属する藤原氏族・95家のうち、わずか8家でしか、その使用の状況は認められませんでした。

8家のうち、3家に五摂家が含まれてはいますが、この3家の藤紋は後に変更されたものらしく、当初の五摂家の家紋はすべて "牡丹紋" であったといいます。

"公家系" において、『藤』がほとんど利用されなかった要因は、立場の固定化された公家社会においては、それぞれの家系の成り立ちなどは周知の事柄であるため、殊更に家紋や苗字を用いて出自をアピールする必要性に欠けたという側面が大きいといえるでしょう。

さらに「"藤"の名が "藤原" を連想させる」という見方は、あくまで "外部からの視点" というのも見逃せません。

そもそも "藤原" の名は、植物のフジから取られたものではなく、『地名が由来』であることを考えれば、権力の中枢にあった当時の藤原氏が、フジやその文様・紋章に特別な思い入れを持っていたかについては疑問が残ります。

いずれにせよ、下がり藤を含む藤の家紋とは、藤原の本流から遠く離れた庶流家系が、自らの出自の証明と、それを端的に表現するために用いた紋章だったといえるわけです。

下がり藤が普及していく経緯について

このように、武士系藤原氏の使用によって、藤紋は大きな広がりを見せますが、これまでも述べてきた "藤原氏の裾野の広さ" とは、公家や武家を指してのみを言うわけではありません。

通常、領地を支配する武家から派生した支流は、その支配地に土着していくのが一般的です。

そして時を経るごとに、その支流は細分化してゆき「郡」や「郷」単位の中間指導層を経て、やがて一介の農夫といった庶民層にまで行き着くのが血脈の広がりといえます。

古代からの長きに渡って権力の中枢を独占し、地方にもいち早く、多数の血脈を送り続けた藤原氏の場合、こういった裾野の規模は桁違いに大きくなっていきます。

これは、「佐藤」「伊藤」「加藤」といった藤原氏に所縁の苗字が、現在の定番苗字に数えられる事実を以って、その証左とすることが出来るのではないでしょうか。(明治の苗字の義務化の際、適当なものを届け出た人が、多数に上ったという説は疑問です。)

これら藤原氏を祖先とする膨大な数の家系が、こぞって「藤原氏の後裔である事を示す紋章」を掲げ、さらに枝分かれを繰り返すのですから、必然的にその使用家系が多数にのぼるのも無理はありません。

これが現代において定番家紋と言ってよいほど、下がり藤を含む藤紋種が広く普及した大きな要因の一つと言えるでしょう。また、他に藤紋種の普及に大きく関連した要素として、江戸時代における家紋文化の流行は無視できません。

こうして家紋は日本人全体へと広がっていった

江戸時代に入ると、武士を始めとした特権階級以外での苗字の公称が認められなくなったこともあって、一般庶民の間では、『家』の識別に家紋を利用するという風潮が広がったといいます。苗字と違い、庶民による家紋の使用は(一部種類を除き)禁止されなかったためです。

このため家紋は、武家を始めとした『一握り』の支配階層だけでなく、社会の圧倒的『多数派』である一般階層へも急速に使用が広がっていく状況となりました。

このような状況下にあって当時の庶民は、それぞれ思い思いの理由で家紋を選択したようですが、その中には「(武家のような)成功者にあやかろう」と考え、地元の領主の家紋、もしくはそれに関係するものを選ぶ人々も一定数に及んだといいます。

藤原氏の繁栄と下がり藤の普及はリンクしていた?

藤紋を使用する武家は、大名・旗本に限っても、約170家にも及んだといい、このそれぞれが(大小に関わらず)領主層であるわけですから、上記のような人々を取り込みやすい状況といえました。

これが現在の藤紋の普及割合に、どれほど関係したのかについては不明ですが、少なくとも「藤原氏に縁もゆかりもない人々の使用」という "紛れ" が、一定割合、発生してしまったのは事実です。

通常、家紋を選択する際の決め手は、個々のケースにより千差万別であり(上記の例を考えても)一概には言えませんが、この藤紋が『五大家紋』に数えられるほど広く普及した "一番の要因" を求めるとすれば、やはり史上屈指の名門・藤原氏の裾野の広さにあると考えるべきでしょうか。

それは「佐藤」「伊藤」「加藤」「後藤」といった、藤原氏ゆかりの定番苗字に、藤紋の使用家系が多いことが物語っています。

家紋・下がり藤の詳細について

以上のような形で、今に伝わる藤紋種ですが、長い歴史と高い普及率を誇るだけに、下がり藤系・上がり藤系他を中心に、比較的種類が豊富な紋種といえます。

下がり藤の普及率は全ての家紋の中でも屈指の高さ。

その中でもこの下がり藤は、九条家・二条家・一条家といった五摂家の内の3家が使用している事もあり、藤紋種の代表的な家紋のイメージが強く、また実際に使用されている割合も非常に高い種類です。

また、下部のスペースにさまざまな家紋をはめ込んだ "変形種" も存在するため、その亜種も含めれば、下がり藤の使用家系は大変な数にのぼります。

家紋文化には、本家からの分家の際、その区別のために元のデザインに何らかの変形を施して相続する例が存在しますが、下がり藤のように変形のバリエーションが豊富な家紋は、それだけ系統の枝分かれが行われたという事であり、使用家系の多さを物語る指標といえます。

使用の多い苗字は?

苗字に "藤" のつく家系に使用が多い家紋です。とくに佐藤・伊藤・加藤・後藤に下がり藤や上り藤の使用の割合が多いです。また、藤紋に集中しているわけではありませんが、斎藤・藤井・遠藤にも使用が多く見られるようです。

家系やルーツの特定は?家柄は?

かつては、特権階級(公家・武家・社家・寺家など)の所属や出自を端的に表現するためのマークであった家紋が、一般階層に広がっていく流れを考えれば、『五大(または十大)家紋』のような人気家紋は、家系の紛れも多く、家紋の情報だけで祖先やルーツを辿る事は、ほぼ不可能です。

しかし、この下がり藤(藤紋種)に限っていえば、ここまでをご覧の通り、「藤原氏の後裔であることを示す苗字」の家系に多く用いられている事実を考えれば、使用家系の一定数は、いずれかの藤原氏の流れを汲む可能性があると考えられます。

※もちろん、苗字・家紋ともに "藤" を使用している事が、必ずしも藤原氏に縁がつながっていることを示すわけではありません。

また「下がり藤を使用する家系の家柄に、特定の傾向は存在するのか」という部分についてですが、一口に藤原氏の末裔と言っても、各々の「盛衰の程度」はピンからキリまであったと思われます。

さらに先述のように藤原氏にゆかりのない者が使用するケースもある程度は存在するわけですから、やはり使用する家柄の貴賎を一概に断じる事も難しいと言わざるを得ないでしょう。

下がり藤を使用の代表的な武将は?

最後に、下がり藤の使用により、その普及に貢献した代表的な武将をご紹介しましょう。

元は黒田官兵衛に仕え、のちの大坂の陣での活躍で知られる『後藤基次(又兵衛)』は藤原利仁の系統とされ、下がり藤紋を使用しました。賤ヶ岳七本槍の一人で、のちに伊予・松山藩、陸奥・会津藩の藩主を歴任した『加藤嘉明』で知られる加藤氏も下がり藤紋の使用家です。

周防・大内氏の重臣で、毛利元就とも争った『内藤興盛』は「下がり藤に内の字」紋、『吉川元春』の吉川氏も藤原氏の末裔とされることからか、(代表紋ではありませんが)「下がり藤の内に三引両」紋の使用が見られます。

そして、太閤・秀吉の筆頭文官で、関が原の合戦においては実質、西軍を率いた『石田三成』は、藤原氏族ではありませんが「関ケ原合戦屏風図」に「下がり藤に石の字」の家紋が見られます。

以上が家紋・下がり藤の解説でした。その他の家紋の一覧ページは↓こちらから。

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家紋・下がり藤のフリー画像素材について

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