六條藤

六條藤

六條藤紋は藤紋の一種で、マメ科フジ属のつる性落葉木であるフジの、特に花房と葉の様をモチーフとして図案化した植物紋です。花弁が薄紫で、花軸は無限花序に分類される為、花房の部分が数十センチにも及ぶ長さで房状にしだれるのが特徴です。

そしてそれが、いくつも連なって集合する様は、非常にダイナミック且つ優雅である為、古来より人々に愛されてきました。

また、鑑賞だけでなく、種子や根などが食用や薬用に用いられたり、つるの部分は家具などに用いられるなど、割と身近な存在であった為、早い段階で文様などには用いられていたようです。

そのような背景と、長寿で繁殖力の強い植物であるイメージ、さらに藤紋は藤原氏(と言っても傍流家系が主ですが)が用いた紋とされる事から、大変に栄えた藤原氏にあやかる意味もあり、一般的な家紋として普及しました。現代でも五大紋の一つに挙げられます。

そんな藤紋の中でもこの六條藤紋は、西六條八藤紋と並んで、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の使用家紋(この場合は寺紋か?)として有名です。代々門主を務める大谷氏(苗字は明治以降の名乗り)の家紋とした方が良いのかも知れませんが、よく分かりません。

浄土真宗本願寺派は、真宗の黎明期時代の勢力では他派に劣っていたとされていますが、浄土真宗の開祖である親鸞上人の娘孫・覚恵の子孫の世襲によって、徐々に発展しました。

特に戦国時代には門徒衆の戦闘行為(いわゆる一向一揆)による戦力はその動員兵力の規模から、戦国大名に匹敵する程で、浄土真宗各派の中でもその勢力は、図抜けた状態でありました。

しかし、かの織田信長公との十年に渡る抗争から、往時の勢力に多少の陰りと教団上層部に軋轢が生じた事が遠因で、江戸時代初期には東西に分裂を余儀なくされましたが、現在でも浄土真宗の最大派と言っても良い程の規模を誇っています。

しかし、家紋として六條藤紋や西六條八藤紋を用いたのは明治以降の事で、当時の門主が藤原氏族で元の五摂家の一つである九条家と婚姻を結んだ事が由来とされています。(九条家の家紋は九條藤。)

親鸞上人は元々、藤原朝臣日野家という堂上家の出で、いわゆる「お公家さん」であったし、本願寺の礎を築いた上人の娘孫の覚恵の父も、日野家の出とされている事から、本願寺門主と公家の息女との婚姻は、珍しい事ではなかったというバックボーンがあっての事だと思いますが。

ちなみに、六條の「條」は「条」の旧字体となりますので、「六条藤」と記載される場合と同一家紋です。

スポンサードリンク

※「右クリック」→「対象をファイルに保存」を選んで下さい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサードリンク

  • カテゴリ0へ
  • カテゴリ1へ
  • カテゴリ2へ
  • カテゴリ3へ
  • カテゴリ4へ
  • カテゴリ5へ
  • カテゴリ6へ
  • カテゴリ7へ

スポンサードリンク