家紋「藤」と平安文学との関係 -

家紋「藤」と平安文学との関係

鑑賞用途にも古代から日本人に愛されたフジの花

家紋「藤」の題材となった、マメ科フジ属に分類されるツル性の植物である「フジ」は、観賞用途や建築・工芸の資材などとして、古来より日本人と関わりが、大変深い植物でした。

フジとかつての日本人との関わりの深さは、平安時代の貴族社会の様子を窺い知ることが出来る「枕草子」や「源氏物語」といった書物に登場する事でもわかります。ここでは、その両作品にどのようにフジが登場するのかを詳しく見てみましょう。

枕草子に登場するフジ


まずは、平安時代中期、中宮(天皇の妃)定子に仕えた女官である清少納言によって執筆されたとされる随筆集「枕草子」から見ていきたいと思います。

「枕草子」とは、当時としては画期的な視点と評される、清少納言特有の審美眼を主体として構成された作品で、理性的で軽やかな「をかし(おもしろい・興味深い・風情がある・など)」の美世界を体現したことにおいて、現在でも高い評価を得ています。

実際の登場箇所

実際の登場箇所は、第39段「あてなるもの」(上品なもの)の一つに「藤の花」が挙げられ、他に

第37段「木の花は」→「藤の花は しなひ長く 色濃く咲きたる いとめでたし。」(藤の花は、しなやかに枝垂れた花房が長く、色濃く咲いているのが実に素晴らしい。)

第84段「めでたきもの」(すばらしいもの)→ 「色あひ深く花房(はなぶさ)長く咲きたる藤の花、松にかかりたる。 」(色合いに深みがあって、花房が長く咲いた藤の花が松にかかっている景色)

などがあり、清少納言の感性に従って「上品なものといえば」「木の花といえば」「素晴らしいものといえば」の項目のそれぞれに、フジを挙げて言及しています。

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源氏物語では、たびたび印象的なシーンを演出

「源氏物語」は、これも平安時代中期、一条天皇の中宮・彰子の女官であった紫式部によって著された長編小説です。

男性貴族のある種の理想像ともいえる主人公「光源氏」を通して、華やかな恋愛、出世や権力闘争など、公私のあらゆる側面から当時の貴族社会の人間ドラマを描き、作中の舞台設定・筋立ての展開・心理描写などの秀逸さから、一部では日本文学史上で最高の傑作と称される事もあるそうです。

実在の施設も登場

虚構ながら平安貴族の”リアル”を感じさせるこの源氏物語には、まず第一帖「桐壺」で、「藤壺の中宮」が登場します。藤壺の中宮とは、稀代の色男である主人公・光源氏が、幼少より憧れ、初めて関係を持った女性の作中での便宜上の名です。(本名は明かされていません)

この女性は、帝の中宮(妃)で、内裏(天皇の住まいと関連する施設)の後宮(天皇の正・側室が住まう場所で七殿五舎の建築群の事)のうち、飛香舎(ひぎょうしゃ)を割り当てられていました。

この飛香舎は別名を藤壺といい、そのため飛香舎の主である彼女は「藤壺の中宮」の名で作中に登場するのです。飛香舎の別名が藤壺であるのは、庭に藤が植わっていたことに因みます。この藤壺(飛香舎)は、創作ではなく実際の内裏に実在した建物です。

そして作中の描写と同様、この庭の藤を持てはやす花見の宴も実際に行われていたようです。

舞台設定に、粋な演出に、たびたびの起用

また、第八帖「花宴」において光源氏は、朧月の夜に素性も定かではない若い姫君と契りを交わしますが、一度はお互いの扇を取り交わして別れたその若い姫君(朧月夜の君)との再会は、右大臣主催の「藤の宴」の場でありました。

第二十八帖「野分」では、多感な時期である光源氏の息子・夕霧くんが、台風一過で混乱した都にて、偶然目にした見目麗しい女性たちに心乱され、それぞれを花に例えるシーンがあります。その夕霧のセリフが、

「かの見つる先々の、桜、山吹といはば、これは”藤の花”とやいふべからむ。木高き木より咲きかかりて風になびきたるにほひは、かくぞあるかし」(「紫の上」が桜で「玉鬘」が山吹なら、この「明石の姫君」は”藤の花”というべきだろうか。高い木より咲きかかって、風になびく美しさは、ちょうどこのような感じだ。)

といったものです。各々の特徴に即した例えが登場しますが、そのうちの一つに藤が用いられています。

第三十三帖「藤裏葉」でも藤が重要な役回りを担います。自らの娘(雲居の雁ちゃん)と光源氏の息子(夕霧くん)の仲を、一度は引き裂いた「雲居の雁」の父・内大臣でしたが、自らが折れる形で二人の仲を認めるべく、夕霧に自宅で主催する藤の花見の宴に招待する手紙を送る場面です。

そこに添えられた歌が、次のようになります。 ~わが宿の 藤の色濃き 黄昏に たづねやはこぬ 春の名残を~ (我が家の「藤の花」が、いっそう鮮明となる夕刻に、訪ねていらっしゃいませんか?逝く春を惜しみに)

シンプルに解すれば、「うちの藤の花がきれいだから見に来ませんか?」といった内容ですが、これは娘である雲居の雁を「藤の花」に見立てているのだという解釈が一般的なようです。

また、内大臣は、「花というものは、どれも咲けば目を引くものだが、春の一時に一斉に咲いては、あっという間に散っていくので恨めしいもの。ただ藤の花だけは一歩遅れた上に、夏にまでまたがって咲く点が私の心を惹きつけるのですよ。」というような事を語っています。

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フジには家紋として広く普及した事も頷ける存在感があった

この作中には、頻繁に藤の宴の描写が出てきますが、平安の当時、このように藤の花を持てはやす光景は、ごく当たり前の出来事といえました。また、女性の美しさを例えて表現する技法としても藤が頻繁に用いられているるように、藤はある種の美しさの象徴として捉えられていたようです。

このように、これらの文化・芸術作品を見れば、平安昔より、フジはその実用性と芸術性から、人々に身近に親しまれた植物であったことがよく理解できますね。

古くより日本人の身近にあったフジだからこそ、家紋という家系のシンボルとして選ばれ、現代にも広く普及しているのかもしれません。

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