家紋一覧などを眺めていると、度々目に入る「石持ち地抜き」という名。これは一体どういう意味なのでしょうか?
実はこの言葉は、『石持ち』と『地抜き』の二つが合体したものです。そのためここでは、『石持ち』と『地抜き』のそれぞれの意味を順番に解説をしてみたいと思います。
石持ちとは?
まずは『石持ち=こくもち』の方から見てみましょう。この言葉は、いくら文字とにらめっこしてみても、その本来の意味にたどり着くことは出来ないでしょう。なぜなら石持ちとは、元の由来とは全く関係ない漢字が当てられた言葉だからです。
石持ちとは、元は『黒餅』と書き、これは丸いモチをかたどった『餅紋』の一種になります。白地などの薄い色地に黒い円を描いた簡単な紋章です。反対に黒地や濃い色地に円を白く表現したものを『白餅=しろもち』といいます。
この『餅紋』は、秀吉の参謀役として知られる竹中半兵衛が、とある合戦において胸に矢を受けた際、懐に入れておいた『餅』のおかげで事なきを得たことから、幸運の象徴として紋章に据えた事が知られています。
のちにこの『半兵衛の餅紋』は、同じく秀吉の参謀として活躍し、半兵衛と特別に縁が深いことでも知られる黒田官兵衛にゆずられます。
その後、この黒で丸く塗り描かれた『黒餅』紋は、福岡藩主・黒田氏の紋章として、使用が続いたことが伝わっています。
どうして『黒餅』から『石持ち』になったの?
この白と黒の餅紋はその後、白餅は『城持ち=しろもち』、黒餅は『※1.石持ち』にひっかけて、武士階級の縁起物とされました。
やがてこの丸い紋章に白と黒の区別がなくなり、さらに縁起担ぎの当て字であった”石持ち”という形で現代に伝わったのです。
それがいつの頃かはハッキリと特定はできませんが、貫高制(かんだかせい)から石高制(こくだかせい)への移行は、太閤検地(たいこうけんち)が契機となるので、少なくとも”石持ち”の概念は16世紀の後半以降と考えられます。
ただの円を紋章として掲げ、挙句その由来は丸餅だと言うのですから、昔の人の発想は面白いですね。
※1.支配地の収入の多少を石高で表した時代の成功者の呼称の一つ。現代の”金持ち”のような感覚
きもの用語としての石持ちとは?
現代における石持ちは『きもの用語』としても知られ、きものの業界においては、家紋を入れるために、あらかじめ円形に染め抜いてある部分をいいます。
『染め抜き』とは、染色の際に、生地の一部分を何らかの方法で覆い隠して、生地の色を残すことです。染色前の生地の色は基本的に白であるため、染め抜くと白く仕上がることが一般的です。
特に黒留袖や、黒紋付、喪服などは、元の白い生地を真っ黒に染め上げてしまいます。生地からのあつらえ物の場合は必要ありませんが、事前に染め上げて反物の状態にあるものは、当然この処置をしておかないと、仕立てる際に紋入れを行うことが出来ません。
しかしこれらのことを前提とした、”きもの用語としての”「紋を入れる場所をあらかじめ白で丸く染め抜いてあるもの」という石持ちの解説は、あくまできもの業界でのお話です。
本来の石持ちとは円の図形の紋章であり、それは必ずしも”白く染め抜いた”ものとは限りませんので、その辺りは注意が必要となりそうです。
地抜きとは?
続いて『地抜き=じぬき』です。ここでの”地”とは『地色』を指します。”地色”とは、紋を入れる対象物の色のことです。それは”提灯”であったり、”旗”や”着物”、”桐たんす”であったり、”iphone”であるかもしれません。
提灯・旗・着物にはさまざまな色のものがありますよね。桐たんすはクリームっぽい色、iphoneはゴールドやシルバーなどといったところでしょうか。
濃い背景色に対して、文字や図形を白く表現することを一般に『白抜き』と言いますが、『地抜き』とはそれを”地色”で表現することを言います。しかし、(例えば)白い地色の提灯に対して、紋の形を白く表現したのでは、紋の形がわかりにくくなってしまいます。
これは、白がゴールドやシルバーであっても同じことです。
このため、地色で図形を表現する”地抜き”は単独では成立せず、必ず石持ち・菱持ち・雪持ち・角持ちなどとセットで用いられる手法といえます。
石持ち地抜きの意味。その結論は?
要するに『石持ち地抜き』とは、表現したい家紋の輪郭線から外側を円形に塗りつぶして、地色で表現したい家紋を浮かび上がらせることをいいます。
そのため、必ずしも黒い円形で白く家紋を表現すること(またはその逆)とは限らず、”どこに描きたいか”に応じて、出来上がるものは、地色も円形の色もさまざまとなるのが本来の石持ち地抜きといえます。