【秋の七草】のキキョウと万葉集の「朝貌の花」についての解説

秋の七草といえば「ハギ・ススキ・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ」の七つである事が知られていますよね。これらは、和風文様の題材としても知られるほか、後にススキ・クズ・ナデシコ・キキョウは、家紋としても用いられるようになりました。
キキョウを含む秋の七草の各画像。

この”七草”の概念はかなり古くからあるようで、奈良時代末期に編纂の日本最古の和歌集と言われる「万葉集」に、既に登場しています。その登場というのが、山上憶良が詠んだ「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし) また藤袴 朝貌の花」という「秋の七草」の歌です。

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やっぱり昔と今では、変わってしまうものもあるよね。

しかしこれを見れば、現代において知られる「秋の七草」とは、若干の差異があるように感じます。具体的には「尾花」と「朝貌の花」の部分です。しかしこの「尾花」に関しては、ススキの別名であるため、現在の秋の七草とは、実は相違がありません。

問題は「朝貌の花」です。これをそのまま取れば、「昔の秋の七草はキキョウではなく、(園芸植物の代表格として有名な)あのアサガオが含まれていたのか」という理解が自然ではないでしょうか。

秋の七草においてキキョウとの関連を指摘されるアサガオの画像。

しかし、同じ万葉集の巻10に「朝貌は朝露を帯びて咲くというが、夕影にこそ咲きぶりが際立つ」といった内容の歌が収録されています。私達のよく知るアサガオの花は、夕方のほうが美しく咲くという事はまずありませんので、何やらおかしな話ではあります。

また、現代におけるアサガオは、奈良時代末期・または平安時代に中国から渡来した外来種なのです。平安時代の渡来であれば、憶良の生きた古墳時代から奈良時代前半には日本には存在しなかった植物であり、これでは憶良の歌はミステリーになってしまいます。もちろんこれは、奈良時代末期説であっても同じ事です。

それでは仮に、奈良時代の早い時期の渡来であったとしたらどうでしょうか?実際にはありえませんが、もしそうだとしても、外国からもたらされて間もない植物が、日本における秋の代表的な野草の7種に挙げられるでしょうか?それでは節操がなさ過ぎますね。

このような背景から、万葉集に詠まれた秋の七草の朝貌とは、現代で言うアサガオとは別物ではないかと言われているのです。

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それじゃあ万葉集の「朝貌の花」って何なのよ?

それでは万葉集が編纂された当時、「朝貌」とは一体何を指していたのでしょうか?これには説が幾つかあり、「昼顔=ヒルガオ」「木槿=ムクゲ」「桔梗=キキョウ」あたりが代表的とされています。

ただ、これらの説の中でも「新撰字鏡」(901年頃に成立したとされる現存する日本最古の漢和辞典)の「桔梗」の項にて「阿佐加保」と説明がある事が決定打となって、現在のところ、万葉集の「朝貌の花」とはキキョウ説であるというのが最も有力となっているようです。

新撰字鏡のキキョウの項にアサガオの文字が見える。