武田菱

武田菱

日本史全般または戦国時代に精通されている方には、お馴染みだと思いますが、この武田菱とは菱紋の一種で「武田」とは、あの戦国時代の巨人・武田信玄を輩出した、甲斐武田氏を指します。

武田信玄は、甲斐源氏及び甲斐武田氏の19代当主で、本国の甲斐国はもとより、最終的には信濃、駿河、遠江、西上野、三河と美濃の一部にまで勢力下に置いた戦国大名です。

幼名、字名(あざな)ともに太郎で、元服後に晴信と名乗り、名の通った(徳栄軒)信玄とは出家後の法名です。(武田氏は源氏の武家の家系なので歴代の嫡子は字名を「太郎」と名乗って来ました。

信玄自身も嫡男として生まれたので元服して太郎晴信、信玄の父も嫡男でそのまま家督を継いだので、太郎信虎という名乗りでした。後に廃嫡されてしまいましたが、信玄の嫡男、義信も太郎義信で有名ですね。代わって家督を継いだ四郎勝頼は四男です。因みに信玄の弟、武田信繁は、次男なので次郎信繁。しかし、信玄の「太郎晴信」は、少しイメージとは違いますね。)

武田菱は別名で四つ割り菱ともいわれますが、武田菱のほうが四つ割菱に比べ、菱型同士の間隔が狭いため、家紋としては別物の扱いとされる場合もあり、統一されていないようです。まぁ、四つ割菱の一種と覚えておいて間違いないかと思います

その甲斐武田氏は、その名の通り甲斐国を本拠地とし、清和源氏一門で河内源氏の2代目・源頼義の三男である、源(新羅三郎)義光を祖とする甲斐源氏の宗家となります。

甲斐国に土着し、本格的に源姓武田氏を名乗ったのは、甲斐源氏4代目の武田信義からなので(甲斐源氏2代目の義清(武田冠者)が常陸国で武田氏を名乗るが、3代目の清光は逸見氏を名乗った。)、武田氏の初代はこの信義と考える事も出来るのですが、これより15代のちの武田信玄が、武田氏19代当主である事から、やはり武田氏の初代も源義光とされているようです。

この甲斐源氏の嫡流である名門武田氏の重代の家宝に楯無(小桜韋威鎧 兜 大袖付のセットの大鎧)がありますが、この楯無とは、そのつくりの堅牢さや謂れなどから、矢弾を防ぐのに楯も不要なほどにありがたい鎧との由来からそう呼ばれ、先に述べた、甲斐源氏の祖である新羅三郎義光より伝来とされています。

以来、武田氏の嫡男元服の際の儀式に用いられるなど、家督相続や甲斐国支配の正当性の証ともなり、それが故に武田家中でも神格化されるようになりました。この楯無に四つ割菱が紋様として施されていた事から、いつしかこの四つ割菱が武田菱となり、武田家の定紋として用いられるようになったという説もありますが、武田氏のこの楯無にまつわる経緯を踏まえてみると、妙に信憑性があるような気がしますね。

スポンサードリンク

※「右クリック」→「対象をファイルに保存」を選んで下さい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサードリンク

  • カテゴリ0へ
  • カテゴリ1へ
  • カテゴリ2へ
  • カテゴリ3へ
  • カテゴリ4へ
  • カテゴリ5へ
  • カテゴリ6へ
  • カテゴリ7へ

スポンサードリンク